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そもそも合わない学校に行った時点で勉強はとてつもなく嫌いになる⓶

日本の職場の人間関係に対する満足度は南米以下日本人の職場における人間関係の満足度は何と南米以下。
今や10人いれば3人は職場の人間関係に不満を抱いていると言うのが日本の置かれた惨状である。
日本人は職場の人間関係を重視するはずなのに、なぜ人間関係に不満を抱える人が多くなるのか。明治大学国際日本学部の鈴木教授によると、この10年で悪化したものだと言う。
この10年で起きたことは何かと言えば、可処分所得の低下と格差の拡大、ヒエラルキーの固定化である。

聖ルチーア学園は現代企業の縮図だ

ひぐらしのなく頃に業:古手梨花への復讐を決意する北条沙都子

聖ルチーア学園は現代企業の人間関係の縮図だ。
「沙都子と一緒に聖ルチーア学園で生活するのが私の夢!!」
そう言って古手梨花に付き合わされるようにルチーア学園で生活する北条沙都子だが、勉強についていけなくなり、かつお嬢様学校特有のサロンに忌避感があったことも相まって転落の人生を歩んだ。
学力の低下に歯止めの掛からなくなった沙都子は自主退学を促され、補習室(企業で言う追い出し部屋)へと送られ、果ては禁固(懲戒処分)を受けたことで、古手梨花への復讐を画策することとなった。
あの学校の人間関係は極めてヒエラルキー成分が強い。古手梨花はヒエラルキーの頂点として、北条沙都子は底辺として位置することになり、このヒエラルキーは高校卒業するまでの3年間固定される。更にヒエラルキーが固定されることによって学校内での情報格差が発生し、それが更なる学力差を生む。
会社も同じようなもので、雇用形態は単なるヒエラルキー固定装置でしかない。中には正社員登用制度がある会社もあるが、アルバイトや契約社員から正社員になるのは狭き門であり、派遣社員から正社員となると、それは鍵付き障子の向こうへ行こうとするようなものだ。障子を破らねばならない。

自分の合う環境は自分自身で見つけねばならない

北条沙都子はお嬢様学校が肌に合うような女では無かった。が、同時に古手梨花は岐阜県の田舎村が合うような女でも無かったのである。
恐らく沙都子はルチーア学園を退学したのだろう。その後、別の高校に編入したのか、或いは働き始めたのかはわかりかねるが、聖ルチーア学園の制服を纏って新幹線に乗る梨花に、私服の沙都子と、2人は道を違える結果を迎えることになる。新幹線に乗る古手梨花を見送る北条沙都子
ひぐらしのなく頃には古手梨花を主人公とした物語だ。
旧版は前半戦こそ前原圭一視点で物語が始まるが、前半で前原圭一が問題提起をした後、本来の主人公である古手梨花が問題解決に挑むようになっている。
令和版は「業」で始まり「卒」で終わるが、この2文字を続けると「卒業」となる。
これ即ち、古手梨花がキチンとした意味で雛見沢(故郷)から卒業できるかが古手梨花のゴールとなり、一人の人間として成長するためには沙都子という障害を乗り越えられるか(地元の友人から自立できるか)が試されたのかも知れない。そして、古手梨花という人物は他でもない視聴者の分身である。
尤も、視聴者によって育った環境は違うから、梨花より沙都子に共感した人も多いかもしれない。
他所の街から越してきた前原圭一と竜宮レナはそれまで当事者(園崎魅音)にない視点を持ってきた、貴方(古手梨花)の保護者にしてアドバイザーである。
そして東京に出た後の梨花は、梨花自身の眼で自分の居場所を見つけねばならないのである。

本筋から離れるが、昭和58年で梨花と沙都子は小学5年生だから、ひかり号に乗るタイミングでは元号はちょうど平成に移行した頃であろうか。
当時は300系はまだ出ていなかったから、東海道新幹線の速達列車はまだ「ひかり」だったわけだ。
そこから20年でN700系が主流となり、のぞみ号は東京ー博多間は5時間で結べるようになったのだから、凄い時代になったものである。当時は東京一極集中のメインフレーム社会だった(と言っても今もだが)が、交通網やネットワークの発達に伴い、自分の置きたい環境に身を置くことは、平成元年に比べれば難しいものでは無いだろう。
近年、少しずつではあるが、IターンやJターンも盛り上がってきている。
果たして自分はどんな街で生き、どんな職場で働きたいのか。今の生活に消耗している人は今一度、自分のライフデザインやキャリアデザインを見直し、自分の居場所を見つけていって欲しい。そのために必要なものの一つが自立心である。

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  2021/10/03   センチュリー・大橋

そもそも合わない学校に行った時点で勉強はとてつもなく嫌いになる⓵

ひぐらしのなく頃に卒は、遂に古手梨花は北条沙都子の一騎打ちにまで発展させることが出来た。
まるでクロノトリガーのラヴォスコア戦を思わせる時空移動をしながら、互いに罵り合い、拳をぶつけ合う。何故か時空移動前のダメージはリセットされているが、沙都子から「嘘つき」と言われたことに激昂した梨花が反撃を加えるところで形勢逆転というところになった。

北条沙都子:ルチーア学園それにしても、である。
「高校生にもなって勉強くらい自分でしろ!!」
とは耳の痛いこと言葉であるが、沙都子が「嫌い嫌い」と「嫌い」を8回も連呼するほど勉強嫌いになったのは一体何が原因なのか。そうなってしまったことに梨花に責任は無いのかというのが疑問点として挙がってくる。
確かに「勉強に対するスタンス」という意味では梨花の主張は正しい。恐らく成功体験の多い人は梨花の主張に納得しやすいであろう。一方、挫折経験の多い人は沙都子の心情もわかるのではなかろうか。

本質的に沙都子にルチーアが合わない

思うに、沙都子を勉強嫌いにさせたのは、聖ルチーア学園で置かれた環境的な要因も大きい。
特に沙都子はルチーア学園に入るまで古手梨花の本性はよく知っていなかった。加えて沙都子はルチーア学園の他の女生徒とは全くウマが合わず、対人関係に苦労することになる。
こうしたトラブルというのは実は大人になっても有り得る問題だ。
高校という環境はある意味、少年少女が3年間辞められない職場と考えた方が現実的な学校の姿に近い。実際問題として会社は高校と仕組みが良く似ているのである。特に転職などは友人の紹介で入ると、立場の違いの変化や他の先輩との関係悪化を通じて気まずくなると言った話は珍しいものではない。
「友人の紹介で転職する」と言った人は誰しもが沙都子と似たような状態になり得ると見た方が良いだろう。
「友人に誘われて入った会社(学校)の社風(校風)が合わなくて孤立した」なんて状態になった場合、一人で入った時よりもストレスは大きなものとなる。
少し想像してみて欲しい。
あなたは友人の誘いでとある企業に転職した。転職先にどうにも肌の合わない先輩が多くいる。ある日、友人が先輩も同席するランチに誘ってきた。果たして同席したいと思えるだろうか。
聖ルチーア学園はミッションスクールであると同時にお金持ちが多く通う学校である。言ってしまうと、周りは皆、育ちが良い。古手家も実際には由緒正しき名家であるし、園崎家も裏社会の一員とは言え、やはり表向きは良い家柄に見えるだろう。
対する北条家は貧困家庭である。北条沙都子は言葉こそお嬢様言葉を使えど(本物のお嬢様曰く下品)それはペルソナの沙都子であり、わよね口調で喋る沙都子こそが地の沙都子なのだ。

大人だって合わない会社に入れば仕事は嫌いになる

確かにルチーア学園に入る前から沙都子は勉強が嫌いだったかもしれない。だが、ルチーアに入ったことで「更に勉強が嫌いになった」と見ることはできまいか。
少なくとも補習室に入る段階の沙都子は、うつ状態にあった可能性がある。

そもそもルチーア補習室にいる生徒の顔付きがうつ状態のそれである。
本当は辞めたいが、親に顔向け出来なくなるから辞められない。
恐らくここにいる女生徒は勉強が嫌いになるし、大学に行けるかはかなり怪しい。
現実世界の仕事とて大差はなく、古手梨花のように組織に馴染んだ人間にとって、その組織で行われる仕事や学業がハードなものであったとしても、人間関係が良好なら意外とやれてしまう。日本人は職場における人間関係は重視するが、逆に言うと人間関係が良好なだけでも、ある程度の不満は目を瞑れる面がある。
逆に言うと、仕事や学業そのものはハードでなかったとしても、人間関係が劣悪であると、それだけでパフォーマンスは目も当てられないほど低下するのだ。
そして悲しいかな、今の日本人は職場の人間関係に対する満足度はロシア以下、底辺のレベルに落ち込んでいるのである。

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進路選択   2021/10/02   センチュリー・大橋

「清掃員として時給1500円は高い」と言われる日本の薄給さが問題

毎日新聞社から「五輪清掃員が感じた失望」として、時給1500円で奴隷のように使われたという記事が波紋を呼んでいた。
「時給1500円って清掃員としちゃ高給だろ」
そんな声が犇めき合うTwitterだが、そうしたTwitterの反応には違和感を感じたものである。
まず、五輪業務ははスポット業務であり、レギュラーワークではないため、いくら高時給と言われようが仕事は持続しない。五輪が終われば案件終了となり、また次の仕事を探さなくてはならない。
それを加味すれば時給1500円は高いとは思えないのだが、それはそれとして、清掃員という仕事はエッセンシャルか非エッセンシャル(どうでも良い仕事)かの二極論で考えた時、どちらに位置するのかということである。

長崎県営バスと長崎本線

しかし誰かがやらなければならない

少なくとも清掃と言うのは、業務としてやるか否かを問わず、誰かがやらなくてはならない。
喫煙所を掃除する人がいなければ吸い殻の山であるし、新国立競技場の外はともすればビール缶がたくさん転がっているかもしれない。何と言っても手洗いの掃除は一番やりたくない。しかし、誰かが掃除をしなければ厠は御不浄となる。
2019年に台風15号が関東直撃をした際、南武線の1号車で満員の重圧に耐えきれず致してしまった御仁がいたと言われ、それが遅延の原因だったという伝説があるが、しかし「誰かが後始末をしなければ悪臭が充満していた」のである。
果たしてその掃除、時給1500円でやりたいと思えるだろうか?
私は時給2000円でもやりたくない。

日本はエッセンシャルワーカーの地位が低すぎる

コロナ禍になってからというもの、エッセンシャルワーカーという言葉が浸透したが、エッセンシャルワーカーはいなければ社会が回らない存在にも関わらず、その地位や賃金は低い。
恐らく多くのエッセンシャルワーカーは、東京の賃金でさえ年収にして300万行けば良い方であろう。いや、寧ろ年収300万に達したエッセンシャルワーカーは、医療業界とインフラ業界を除けば軒並み基本給が低いから、かなり残業を重ねているのではないか。不思議なことに年収が高くなればなるほど、実は社会にとってどうでも良い(いなくても回る)存在になる。
例えばメーカーの営業マネージャーはいないよりはいた方が良いが、いなくても社会は回る。SIerの営業マンなどもっと酷い。というよりあの業界はエンジニア以外必要ないだろう。営業をやるにしてはセールスエンジニアでない営業マンは完全に不要だ。
経営者はどうだ。それこそ人工知能に投資できる日本企業なら、意思決定はワトソン君に任せた方が良いのではないか。ワトソン君の方が他の取締役に忖度しない意思決定が出来るだろう。そうしたら受付嬢はペッパー君にされてしまうかも知れないが。

しかし、これほどITが進歩した時代になっても、トラックの運転(物流)は人にしか出来ないし、厠掃除も人にしか出来ないのだ。
今後ドローン配送が出来るようになれば、小さな荷物はドローンで任せられるかもしれない。だが、大きな荷物や大量の荷物を運ぶには人の介在が必要になる。
「清掃員の時給1500円は高いが何か?」
それはその通りだろう。相場から見たならば。
だが、誰かがやらなければならないにも関わらず、日本の相場が安いのではないかと考えることもできないか。
少なくとも、PCを扱うのに比べれば難しい仕事だぞ、厠掃除というものは。

与党批判だけでは支持は集まらぬ

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就労形態   2021/09/12   センチュリー・大橋

よい仕事をさせてないーそりゃ社員だって盗みも働くさ<2>

太地町清掃センター

思うに「さぶれ」なる人物のSMBCソースコード流出騒動にしても、ブロードリンク社によるHDD転売事件にしても、これは氷山の一角と見るべきである。
ある意味でSIerの多重請負構造については、恐らく日本でしか成立できないビジネスとなるだろう。日本でそうした社員による盗みが少ない(或いは単純に発覚してない)のは、何も日本人がアメリカ人と違って善良な人の割合が多いというわけでは無い。同様に「盗まずにはいられない人」が少ないわけではない。やはり90%が次の3つの要因が揃えば盗みを働き得るのである。

1.盗む必要があること、あるいはそう感じられること
2.盗むという行為を正当化すする能力
3.見つからないと信じること

要は「さぶれ」なるプログラマーもブロードリンク社のHDD転売者も、この3つのどれかが当てはまり、ソースコードやHDDを盗んだのである。
さぶれ曰く「年収300万からもっと年収の良い会社に転職をしたかったから自分の力量を診断した」とのことで、理由は明確である。
これは「プログラムは書けてもコンプライアンスは知らない」ことによって起きた事件であり、悪意なく無知のままソースコードを盗んでしまったのだ。
それでも日本で盗みが少ないのは日本人が善良だからではない。アメリカ人と比べて臆病だからである。
もし日本のSI産業をそのままアメリカでやったら大変だ。いや、アメリカどころではない。日本以外では全く通用しないビジネスモデルである。よくもまぁ、こんな産業が2021年まで生き残ってきたものだと感心しかしない。勿論、悪い意味でだ。

衣食足りぬものに礼節は期待できぬ

「さぶれ」を雇用していたSESにしてもブロードリンク社にしても、働き手は労働時間の割に収入は良くない。恐らく毎月の手取りでは20万前後しかないだろう。
ちなみにダン・ケネディの父は給料が安い仕事を幾つか掛け持ち、真面目に勤務に励んでいたそうである。だが、そんな父のことをケネディはこう書いている。

全体として見れば、私の父以上の従業員を見つけることはできないだろう。いつも準備万全。時間を守り、有能で、態度も立派、自分に厳しく、殆ど監督を必要とせず、品質管理やものごとを正しく行うという倫理観を持っていた。
しかしながら、父は繰り返される盗みの共犯者でもあったのだ。そしてそれがばれる心配はなかった。その気前のいいシェフは、自分の車にもお楽しみ袋を入れていたに違いない。
(中略)
父がくち口にした十余りの言い訳を今も覚えている。
「給料が安いんだ」
「ホテルは金持ちが経営していて、ポークチョップのパッケージが1個(あるいはビーフステーキが5キロ)なくなったって惜しくもなんともないんだ」
「上司が脳たりんなのさ」
こういった具合である。事実、私たちは本当に、本当に、本当に食べ物が必要だった。

IT土方とも揶揄される日本のSI産業は多重請負構造に成り立っており、2次請け以下のSES社員は給料が安く、雇用も不安定である。
安定した雇用や地位、給料を求めて社内SEへの転職を望む者は数知れず、盗みは起きやすい環境にある。かくしてソースコードは盗まれるのだが、寧ろSMBCソースコード流出までよく表面化しなかったものである。
SIerも顧客のIT部門も猛省すべきであろう。

平均以上の賃金を出して結果を出すことを求めよ

ダン・ケネディは「顧客と関わる全ての従業員に良い仕事をさせ、良い職場環境と平均以上の賃金を出しなさい。ただし、これは気前が良いからではない。」と書いている。
魅力ある職場に出来れば単に離職率が下がるだけではなく、不祥事を避けることも出来る。もっと言うと「金出すから結果を出せ。その代わり成果出せないと解雇するぞ」という環境構築が必要というのがケネディの考え方のようだが、やはり会社を富ませるためにも従業員満足度の向上は必要なのだ。
それは下請け会社の人間とて例外ではなく、下請け(協力)会社の人間の不満を放置すると、いくら自社の社員の満足度を高めようが全て下に引っ張られるのである。
ここ最近、日本企業の不祥事が絶えない。
問題を起こした人間だけを懲戒(鳥海)山不祥寺送りにすれば万事解決、というわけにはいかない。
不祥事が起きた構造的な問題にしっかりと向き合い、原因を除去しなければ、再び不祥事は繰り返されるであろう。

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就労形態   2021/08/19   センチュリー・大橋

よい仕事をさせてないーそりゃ社員だって盗みも働くさ<1>

ワイドビュー南紀の車窓(D席)
写真:ワイドビュー南紀の車窓より

神奈川県のHDD転売事件があってからというもの、リース期限や耐用年数の切れた備品は廃棄ありきの運用になっている。
今後、所有権の移転を伴わないリース契約がどれだけの需要を保てるか怪しいところではあるが、元の需要は回復できまい。

CE(カスタマーエンジニア)にしろSE(システムエンジニア)にしろ、ITは何かと構造的に色んな問題が潜む業界だ。
いや、日本の産業構造が歪なのかも知れぬが、先「さぶれ」なる者が行ったSMBCソースコード流出騒動についても起こるべくして起きたものである。
SMBCソースコード流出からは早半年が経過したが、恐らくSIer各社は事件が起きた原因は総括出来ていないであろう。
根本的な問題はまだ解決しておらず、また忘れた頃に似たような事件が起きたりするものである。

世の中に善良な人は僅か5%しかいない

つい最近、ダン・ケネディの著書、世界一シビアな「社長力」養成講座を読む機会があり、アメリカの中小企業の現実を知ることのできる内容ともなっていた、
アメリカの企業では従業員による盗みは珍しいものでは無いようである。だが、不思議と経営者が「ウチの従業員に限って盗みなんかしない」と思う点に関しては、どうやら日本と大きな差は無さそうだ。

日本の従業員世界はアメリカと比べれば相互監視の進んだ社会であろうから、アメリカ的な経営手法がそのまま日本で通じるわけではなさそうだが、しかし日本の従業員でも盗みを働く者がいることは確かである。
「さぶれ」なる艦これ提督はソースコードを盗んでしまったし、ブロードリンク社のCEはHDDを盗んでしまった。さぶれ氏は嫌韓ネット右翼であったことも一部では知られていたが、こうした諸問題を「個人の資質」として片付けることは些か危険であることは、ダン・ケネディの著書からも改めて確認することができる。

ブロードリンクは富士通リースの下請けとして入っていた企業だが、ブロードリンクと並んでやばいのが、HDD処理を丸投げして業務が適正に完了しているか確認しなかったことにある。
では富士通リースがHDD転売を受けて業務管理の在り方を反省しているかというと、恐らくそれは無いだろう。

世界一シビアな「社長力」養成講座でダン・ケネディはこのように述べている。

「あなたに対して嘘はつきませんし、盗みも働きません」などと言う人間のほとんどは嘘つきだ。100人中5人の確率なのだから。
どんな状況ででも、何のメリットがなくても、嘘をつき、欺き、盗みを働くよう生まれついた人も5%いる。盗まずにはいられないのだ。
(中略)
だが、そういった手に負えない性質を持った人間にあなたが出会う確率もやはり、100人中5人なのだ。
私やあなたはその中間の90%にいて、さまざまな問題を引き起こす。
盗みをするために必要な要素は次の3つだ。

1.盗む必要があること、あるいはそう感じられること
2.盗むという行為を正当化すする能力
3.見つからないと信じること

改めて言うと、世の中の95%の人間は盗みをし得る人間ということである。
日本人はあまり性悪説に立ってものを考えるのは得意ではないようであるが、業務において性善説は危険な思想だ。
性善説などと言うものは真っ先に排除しなければならない

下請け社員のエンゲージメントは低いまま

昨今では従業員エンゲージメントの重要性に気付いて社風改革に取り組む企業は増えてきた。そう、恐らく三井住友銀行だってブロードリンクの元請けである富士通だって従業員エンゲージメントの重要性というのは頭ではわかっている筈なのだ。だから自社の社員に対してはエンゲージメントの向上に努めていることだろう。

では下請け会社というのはどうなのか。
残念ながらSI業界における下請け企業のエンゲージメントに対する認識は何も変わっていない。昭和のままである。
そもそも下請け会社の経営者からして見れば「人が売れればOK」でしかなく、エンゲージメントなど気にもかけることはないのだ。

上場企業なら従業員エンゲージメントを重視する企業は少なくないだろう。
だが、自社の社員のエンゲージメントを高めたとしても、下請け企業の社員が業務や自社、或いは元請け企業に対する不満度が高ければ、全ては下に引っ張られることになる。
下請け企業の社員に客先常駐をさせている企業は、匿名性を保証した上で下請け企業の社員達に不満度調査をやってみると良い。
下請け社員の不満度を★5ランクで評価し、★2.5を超えるようであれば、下請け(協力会社とも言われる)社員の誰かが盗みを働いていると警戒した方が良い。
「さぶれ」なる人物がソースコードを盗み、ブロードリンク社員がHDDを盗んだように、どんなに自社の社員のエンゲージメントを高めようが、下請け会社の社員のエンゲージメントが低いと、一発の盗みで全てが台無しになる。
 

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就労形態   2021/08/18   センチュリー・大橋

梨花と沙都子の失敗から:進路決定は友人と同じを選択することなかれ

テレビアニメ「ひぐらしのなく頃に卒」が7月から放送されている。
旧版ひぐらしは祭囃し編にて惨劇から抜け出し、古手梨花の本当の人生が始まると言わんばかりの終わり方だった。
ところが「ひぐらしのなく頃に業」では、古手梨花が高校進学後、北条沙都子との間に生まれた確執により、再び昭和58年をループさせられるという事態に発展した。

ひぐらしのなく頃に業:古手梨花への復讐を決意する北条沙都子

ひぐらしのなく頃に業:古手梨花への復讐を決意する北条沙都子

なぜ古手梨花と北条沙都子に確執が生まれたのかを簡潔に説明すると、一人でお嬢様学校に進学するのを恐れた古手梨花が、北条沙都子を巻き込んだためである。
一方、北条沙都子はお嬢様学校に行くことを拒んでいたが、それでも古手梨花に説得され、しぶしぶ同じ学校への進学を了承したが、進学先のお嬢様学校で古手梨花には新たな友達(というよりは取り巻き)が出来たことにより、北条沙都子は孤立。
梨花から「沙都子を絶対一人にしない!」という約束を受けていた沙都子は、孤立させられたことを強く恨み、悪い神様から得た力を使って復讐を決意する。それが令和版ひぐらしの惨劇の幕開けとなるのである。

 

梨花も沙都子も互いの本性を知らなかった

古手梨花と北条沙都子の人間関係の亀裂を見ると、一つだけ確かに明らかなことがある。
それは両者とも互いの本性を知らなかったということだ。
特にショックが大きかったのは沙都子であろう。古手梨花という人物は割と自分のことしか興味がない人間である。そのため、取り巻きが出来、かつサロンで美味しいケーキをつまみながら新しい友達と談笑することに楽しみを覚え、旧友はほっぽってしまった。沙都子は梨花のこうした本性に気付くことが出来ず、孤立を深めてしまうことになる。
もちろん梨花も梨花で沙都子に対する油断があったため、沙都子が報復に及んでくるとは思いもしなかったのだ。
ひぐらしのなく頃に卒のジャケット絵は、梨花と沙都子の関係が修復不可能なほど悪化したことを示している。
全寮制のお嬢様学校に行く選択をするにあたり、梨花は沙都子に「貴方を絶対一人にはしない!」と言って沙都子が激昂する場面がある。ループの中で沙都子が梨花の本性を知ってしまったために激昂したのだが、恐らく最初の人生でも梨花は沙都子を力づくで説得したのであろう。
梨花も沙都子もおお互いの本性を知らなかったことで悲劇が起きたが、実際の人間関係でも「9年一緒にいても実は互いを良く知ってなかった」というのは、往々にしてあることではなかろうか。

環境が変われば立場も人間環境も変わると知るべし

尤も、ひぐらしのなく頃にシリーズ全体を通して見ると、ある編からは古手梨花と北条沙都子は本来波長が合わなかったのではないかということがわかる。
ではなぜ本編での梨花と沙都子が「親友」でいられたのかというと、共に親を亡くし、閉鎖された村社会の中でずっと同じ教室で過ごし、同じ家で暮らしてきたからこそ「親友」としての「立場」が保たれたのではないかと思われる。
即ち同じ学校に通うようになっても、2人の「性質」が異なる以上、当然、人間関係も変化していく。
梨花はお嬢様学校のエリート達と波長が合ったが沙都子には合わなかったのだ。この違いが両者の立場の違いへと発展し、人間関係に亀裂が走ることとなった。
北条沙都子は「私は勉強が嫌いだ」と言っていた。沙都子にとって、聖ルチーア学園にいるということはそれ自体が地獄なのであり、サロンでケーキを頬張る梨花と異なり、勉強を頑張ることによる精神的報酬が無い。
確かに雛見沢にいる間は古手梨花と北条沙都子は友達同士であった。だが、環境が変われば立場が変わる。新しい環境に入る一瞬は同じ立場であったとしても、時間と共に立場には差がついてしまうのだ。

会社とよく似た聖ルチーア学園:あれは未来の会社員に待つ光景だ

学校と会社の違いを説明しろと言われると些か難しいものだが(日本の会社は学校の延長にあるため)、聖ルチーア学園は特に企業の姿のそれと良く似ている。
古手梨花が参加していたサロンなどは成績上位者に許されたお茶会であると思われるが、会社組織の中でも役職が上の人間ほど会社のお金で豪華なものを食べに行けたりする。接待という奴である。そうでなくとも人脈形成の機会にも恵まれ、学びや意見交換の場も役職が上がるほど貰えるようになる。
聖ルチーア学園の補習室:企業の追い出し部屋とよく似ている

方やカーストの下に置かれると大変である。
北条沙都子は補習室と独房を経験したが、補習室などは正に企業の追い出し部屋そのものだ。加えてルチーアの場合、生徒を退学させることはしない。あくまでも「自主退職届を出せ」と言うのだ。この点も会社のシステムと酷似しており、ひぐらしのなく頃に業を通して「友達同士で同じ進路を選ぼうとしてはいけない」ということを暗に教えてくれている。
勿論お笑いやバンド活動なんかは友達同士で始めてプロになったグループもいるし、友人同士で同じ会社に就職するというケースは、あるにはある。
しかし、アーティストがギャラで揉めることがあるように、同じ会社に友達同士で就職すると、立場(役職)の違いが出来た時に亀裂が走ることも有り得る。
仮に同じ学校・同じ職場に勤めることとなったとしても「結果的に同じ会社(学校)」になったのか「プロセス的に同じ会社(学校)」になったのかで気の持ちようも変わって来るだろう。
古手梨花と北条沙都子は「プロセス的に同じ学校になった」のであり、梨花の思い描いた高校生活と沙都子の懸念した高校生活に大きな食い違いがあったであろうことが否めない。
「結果的に同じ学校になった」のなら大きなトラブルは起きなかったであろう。しかし「プロセス的に同じ進路を取るような選択をした」からこそ大きなトラブルになったのだ。
どうしても一緒の道を歩きたい友人がいるなら、それはその友人に「自分と同じ道を歩く適正があるか」の見極めが必要になるだろう。古手梨花はその見極めを怠った。さすがに北条沙都子クラスの過ちを起こす人はいないであろうが、人を自分と同じ進路に誘うには責任が伴うということは覚えておいた方が良い。
「金の切れ目は縁の切れ目」と言うが、もしかしたら「立場の分かれ目は友情のヒビ割れ」になるのかもしれない。
進路というものは「友達と一緒」の道を選択してはならない。あくまでも「行った先で何を得たいか」をベースに進路を考えるべきではないだろうか。

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職業選択   2021/07/09   センチュリー・大橋

若者に告ぐ!「うっせぇわ!」嘆く暇があるなら一流の集まる街へ行け

「うっせぇうっせぇうっせぇわ!」
ラーメンを食している最中に流れてきた「うっせぇわ!」は、なんでも若者の支持を集めた曲として話題になったことがある
筆者はあまりボーカル付きの楽曲を聴くことは無いため、飲食店やスーパーに立ち寄った時でも無ければ聞くことのないものであったが、聴いていてつい気になる点があった。
退店後に歌詞を見て見ると、この曲に共感できたという若者には次のような特徴が垣間見れる。

❶小さい頃から人前では良い子ちゃんであったこと
❷社会のルール(暗黙の了解)には従順であること
❸一方で自分は出来の良い優秀な人間と思っていること
❹その上で社会への不平不満が大きい事

こんな感じであろうか。
とりわけ、どうしても気になったフレーズが「頭の出来が違うので問題はナシ。つっても私模範人間」というものだ。
「うっせぇわ!」に共感する人は、恐らく上司に不満を抱えているであろう。その上で、自分は仕事の出来る人間であると思っている。しかし、ならなぜ「三流上司」とやらの元に甘んじているのか。ここがどうにも腑に落ちない。

確かに日本企業はだらしないが

恐らくこの歌に共感した人は多くが日本企業に勤める若者で、上司や経営者は保守的で会社の文化は古臭いのだろう。
日本企業の経営者や上司の多くが無能なのは確かであり、だからこそIT革命から20年経ってもデジタルの普及は大きく遅れた。
20年前に掲げられた「e-Japan戦略」では「このままやと日本はIT後進国になるで!」と予言していたのだが、正に今、その予言通りとなってしまっている。
未だ20年前の価値観にすら追い付いていない中高年の多い日本企業で、マイノリティである若者はさぞ苦労していることだろう。
安倍政権ではアベノミクスなどと称して雇用の改善が謳われていたが、何のことは無い、高齢化で引退していくオールド世代の後にヤング世代が入れ替わっただけのことだ。アベノミクスなど関係なく、コロナが終われば再び人手不足時代に到来する。
何せ大企業の子会社でも、若者の繋ぎ止められない現状に冷や汗をかいているものだ。今の中高年はまだ昭和から脱却できておらず、そうした意味で能力のない人間が役職に就いてしまっていることは確かだ。
しかし、そうした不満を抱えつつも、不満を伝えないこともまた罪ではないか。
まして「頭の出来が違う」というなら、なぜ現状の不満な環境に甘んじているのか。

「私は頭の出来が違う!」というなら一流の集う環境へ行け

「うっせぇわ!」の歌詞中にある「頭の出来が違うので問題はナシ」というのは、本当に「私は頭の出来が違う」と思っているのであれば、色褪せた上司にとって、若さくて有能な貴方は手に余る存在だ。転職をオススメする。
しかし、ただ転職しても面白くはなかろう。一流の集う場所へ飛び立つべきである
わかっての通り日本企業のサラリーマンは一流にはなれない。だが、それがわかっていて何故不平不満を抱えたまま現状に甘んじるのか。
頭の出来が違う優秀な人間は、一流の集う環境へ飛ぶべきだ。具体的にはシリコンバレーや深圳のようなイノベーションセンター、世界の金融の中心地たるウォール街など、一流の集う環境で、一流と同じ目線で仕事をするべきではないか。
アメリカの大リーグが凄い存在である理由は、世界中から一流の選手が集まるからだ。
イタリアのセリエAは世界中から一流のサッカー選手が集まるのだから、優秀な選手は日本から飛んでいく。
もし本当に「私は頭の出来が違う」と思っているのであれば一流の集う環境に転職した方が人生は充実すると思われるのだが、して如何か?

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職業選択   2021/07/05   センチュリー・大橋
タグ:ビジネス

雇用は原則正規雇用にせよ!⇨非正規化は業務の属人化を促進する!

オペレーションというのはできるだけ属人化要素を排除し、標準化をしていくのが望ましい。いや、寧ろ標準化をしていかなければならないのだが、こと日本の企業は業務の個人商店化が進みやすいのが痛いところである。
業務が個人商店化することによって起こることは、残業時間の肥大化、有給取得率の低減、疾病や退職、異動時の業務継続の危機など、百害あって一利もない。
本来なら属人化されている業務はリストアップし、早急にでも改革をすべき問題なのだが、実際のところは改革なんて少しも進まない。否、ある問題を直視せずして、業務の標準化を進めるのは不可能なのではないか。そんな要素が1つある。それは、非正規労働者によるジョブセキュリティの確保にあった。

大阪環状線

属人化こそ解雇に対抗する切り札

非正規雇用の拡大は社会問題的に捉えれば、貧困化や非婚化(それに伴う少子高齢化)などの問題があるが、それとは別にして、企業の事業継続の観点から見てもあるリスクを内包していることを見逃していた。それが業務の属人化だ。
一般的に非正規雇用者は正規雇用者と比べ、解雇されるリスクが格段に高い。賃金も正規雇用者に比べて低いことから、フルタイマーの場合は残業も常態化しやすいとも言える。そもそも「残業しないと生活できない」と言う従業者も少なくなく、生活のためには有給を取るより出勤して残業した方がマシという者も少なくないのだ。
さて、正規雇用者に比べて解雇リスクの高い非正規雇用者だが、解雇を免れる策が無いわけでは無い。それが独占業務を持つことである。
独占業務を持つことによって「この人いなければ業務が回らない」という状態を作り出すことができ、企業としても該当人物を解雇するのはリスクが伴う。例えば前回指摘したExcelマクロのリスクもそうだ。Excelマクロはプログラミングの素養が必要であるため、職業的にプログラミングを必要としない場合、スキルを継承できない恐れがある。何せ書いた本人しかメンテナンスもできないため、本人が退職や異動をした場合、業務が継続不可能になるのは時間の問題だ。
非正規雇用者にとって、解雇に対抗するためのジョブセキュリティの確保は必須のものとなる。もちろん非正規雇用者を適正にマネジメントできていれば良いのだが、残念ながら課長職以上の人間は殆ど非正規雇用者に対するマネジメントは出来ていないだろう。主任や係長クラスは目先の業務に追われていて、これまた契約社員やパート社員に目が行き届いているかは疑問が残る。そうこうしている内に特定の顧客やシステムに関わる業務が独占され、属人化していることがある。

従業者は原則正規雇用としてジョブセキュリティを破壊せよ

従業員のジョブセキュリティ確保(保身)に対する対抗策は何か無いものか。強いて言えば、会社が雇う従業者は原則的に正規雇用とすることだ。
本来なら賃金も上げることが望ましいが、今や日本の雇用形態は単なるカースト制度と化しているものであって、平の正社員と契約社員は殆ど同じ業務をやっていることも少なくない。
尤も、本来なら有期雇用者というのは無期雇用者に比べれて賃金が高く無ければ、割に合うものではあるまい。
ならば無期雇用だが基本給は安いか、有期雇用だが基本給は高いかを選択させた上で業務に就かせる方が、まだマシではないか。少なくともジョブセキュリティの確保を防がせるには、原則として従業者は正規雇用とし、如何に業務を標準化させることに貢献したかを人事評価に加えれば良いのではなかろうか。
非正規雇用者にとって、独占業務を持つことは保身の基本である。その結果、負のマクロ遺産などを残され、最悪の事態が起こって業務がストップしてしまうなんてなるよりはマシでは無いか。
原則雇用は正規雇用とし、どれだけ残業時間を少なくし、業務を標準化できたかを人事(昇給)評価に加えることは、結果的に企業のリスクも減ると思われるが、如何か。

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就労形態   2021/06/03   センチュリー・大橋
タグ:属人化

DXをマトモに成功させたくばシリコンバレーへ行け:日本人だけでは無理!

デジタルトランスフォーメーションという言葉は日常的に聞かれる言葉になったが、本当にトランスフォーメーションするために覚悟を決めた日本企業がどれだけあるかは疑問である。
デジタルトランスフォーメーションは言わば経営改革にして、データを活用してどう新しいものを生み出していくかということを実行していかなければならないのだが、未だ日本企業はICTでの業務効率化の話が聞こえる有様だ。
ICTでの業務効率化など既に終わった議論、過ぎたブームなのだが、結局のところDXは言葉だけが独り歩きしているだけでしかない。
企業に置かれているCIOは単に情報セキュリティ管理者という位置付けでしかないハリボテの最高情報責任者。実際に権限というのは殆どなく、単にIT部門と現場部門の調整役として位置しているのだから、攻めのITなんてできるはずもない。
結果としてデジタルトランスフォーメーションは単なる言葉遊びに終わり、日本は何も進展しなかった。そんな事態は避けたいものである。

日本人だけでDXやるのは無理!

本当にデジタルトランスフォーメーションをやりたいなら、日本人だけで固まってても無理なのではないか。
思うに、ブラック企業の問題すらロクに解決していない状態の中で、デジタルイノベーションなどという領域に踏み込めるのかが怪しい。
例えば電通はこれまで報道されているだけでも、3名の社員の人生を奪っている。しかし、高橋まつり氏の事件を以てしても、2018年には更に36協定を超える残業時間をさせていたのだから恐れ入る。要は「どんだけ社員が倒れたところで罰sura金は50万円で良い」というわけで、反省するどころか味をしめたのではないかとすら見える。
パナソニック産機システムの内定者に対するSNSを使ったパワハラにしてもそうだが、日本人同士で固まると、いとも簡単に体育会系の悪しき価値観に引きずり込まれてしまう。これではブラック企業が無くなる由もない。
日本人の手でブラック企業を無くせていないように、デジタルトランスフォーメーションもまた、日本人だけで行うのは不可能なのだ。何しろ悪しき風習すら無くせないのだから、イノベーションなど起こせるはずもない。ならば解決手段は、海外の人材を活用する他あるまい。

シリコンバレーへ行ってDX人材をヘッドハンティングせよ!

デジタルにおける経営や事業の変革を行おうにも、果たして日本の中に先進事例はどれだけあるというのか。ゼロではないにしても、もとよりITについて世界から遅れを取った日本の場合、先進事例なるものは殆ど無い。デジタルディスラプターというのはアメリカや中国に多く存在しており、日本国内だけを見ても果たして本当にDX人材が見つかるのかが疑問である。
もし本気でデジタルトランスフォーメーションをしたいといなら、日本国内で呑気に人材の応募を待つより、自らシリコンバレーへ飛んで世界のトップ・プレイヤーを高待遇でスカウトするべきではなかろうか。
トッププレイヤーをスカウトし、強い権限を与えて情報戦略を一任するべきだ。日本企業が成長する上で最も障害となるものは社内における日本人同士の慣れ合い、不毛な社内政治、変化を拒む保守的な体質である。そもそも求人媒体に載せて募集する「DX人材」とは一体なんなのやら。どんなビジョンがあって、どんな改革もしたいかわからずにDX人材は欲しいなどと言ってたら失笑ものだ。本気でデジタルトランスフォーメーションを薦めたいなら掴みたい未来のビジョンを打ち出し、自らトップ・プレイヤーをスカウトに行くべきではないか。
トランスフォーメーションに慣れ合いは不要だ。なら日本人同士で固まるより、海外から優秀なプレイヤーを招き入れた方が、結果的に日本人の危機感も刺激出来ると思えるが、如何か。

ITビジネス関連

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事業戦略   2021/05/31   センチュリー・大橋

企業は外国人正社員比率を最低1割は達成せよ:日本人だけで固まっても会社は変われぬ

読売新聞の古い記事だが、パナソニックの子会社において、人事担当者のパワハラにより、内定者が自ら命を絶ってしまったことが報道されていた。
少子高齢化が進む日本では若者の命はこれまでにない貴重な存在であるのだが、果たして何故こうも日本の企業はこうもブラックな文化を変えられぬのか。
テレワークが浸透しないこともそうであるが、いかんせん日本企業では昭和のオヤジが強すぎており、いつまで経っても日本は昭和に付き合わされるという地獄に陥っている。
未だ賃金は横這いであり、1人当たりの所得は韓国に抜かれてしまったのだ。尤も、韓国は日本より失業率も高く、残業も多い国であるから、それなりにあちらもブラック企業は多いと見るべきだろう。
しかし、それにしても日本の企業はどれだけ報道で長時間残業やパワハラ体質をバッシングされても、全く学習している様子が見られない。
なぜこうも学習しないのか。いや、もしかしたら学習の必要が無かったのかもしれない。

日経225の正社員になるのはゴール地点

なぜこうも日本企業はブラックな文化を維持できるのか。それも中小企業ではなく、仮にも東証一部で上場している企業の子会社でだ。
これは今の日本人のキャリア観が大きく関係しているかもしれない。
日本人は会社に不満はあるが辞めたがらない
リクルートワークス研究所が行った5ヵ国リレーション調査の結果は悲惨なものだった。
このグラフを端的に言うならこうだ。
「日本人は仕事に不満が多いし職務に満足をしてないが会社は辞めたくない」
つまり「会社にぶら下がり続けること」が目的下し、正社員になることは通過点ではなくゴール地点なのだ。
まだまだ転職しながらのキャリアアップが一般的ではないのか、新卒カードが偉大過ぎるのか、日本人にとって日経225への就職はスタート地点ではなく、ゴール地点になってしまう。かつ日経225の主要企業は新卒入社が最大にして最後のチャンスとも言える状況になることから、ここをしくじったら後が無いという気持ちになるのかもしれない。
本来なら就活というのは企業と就活生は対等の立場であることが理想だ。お互いに雇用関係が無い間は上下関係も当然あるはずもなく、企業側が「ウチの会社のやり方が気に入らないなら辞退してくれ」と言えば「ああ、じゃあ辞退してやるよ」と言えるのが健全だ。だが、パナソニック産機システムズの件は、そうはならなかったのだ。

外国人材がいつかないような企業はお先が暗い

これから少子高齢化を加速させていく日本は嫌でも外国人材に頼らねばならないのだが、少なくとも外国人材を定着させるには昭和のオヤジ的な価値観は通用しない。そもそも日本人とはキャリア観が異なるのであるから、日本人に対して行えるパワハラなんてやろうものなら「わかりましたサヨウナラ」とお別れされるだけである。
ある意味、外国人に優しくない職場というのは、本来日本人にも優しくないと言って良い。
日本人は正社員がゴール地点になっているが、外国人は正社員=ゴールというわけではないので、定着させるためには働きやすい環境、適正に人材を評価する制度、キャリアを形成できる仕組みが必要になる。
具体的には収入をアップできるかどうか、であろう。日本人みたいに「お客様の笑顔を自分の喜びに」などと言った胡散臭い言い分は通用しない。スキルが身に付き、確かな収入のアップに繋がる組織と思えなければ、より良い条件を見つけて転職されるだけである。
日本人だけで固まる場合、そもそも日本人のゴール地点が正社員になることであることから、別段企業改革などせずとも社員は辞めることは無かった。正社員という地位を維持するためには、昭和のオヤジ的な価値観に染まっていくことが、組織にぶら下がるための最善だからだ。だが、これでは生産性はいくら経っても上がるまい。
ただでさえデジタルトランスフォーメーションも求められる今の時代、昭和のオヤジから脱却できなければ日本の衰退は加速するだけである。昭和のオヤジからの脱却には脱却せざるを得ない物理的環境を整えるのが一番だ。どの道、デジタル戦略を組んでいくなら、海外の先進事例などは学ばねばならなくなる。ITに関する一次ソースは多くが英語なのだから、必然的に外国人材の登用は必要になるだろう。
労働改革もデジタルトランスフォーメーションも日本人だけで革新を起こすことはできぬ。外国人材を最低1割は登用し、昭和のオヤジ的な要素を破壊していかなければ、今後も日本企業は変われることなくブラックな労働を続けていくだろう。

ITビジネス関連

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就労形態   2021/05/30   センチュリー・大橋
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