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職業考察NEWS

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無駄な金を払い続けるアウトソーシング:ぼったくられてるだけだぞ⓵

海浜幕張:無意味なアウトソーシング

市役所の窓口業務がいつの間にか外部業者に外注されるのがスタンダードになってきたが、コールセンターと言い客先常駐のシステム保守と言い、これらのアウトソーシングには価値があるのかと問いたいものである。
システム屋の客先常駐と言えば、開発案件に関してはかなりブラックな案件が多いことも確かだ。納期に追われ、休みを取れず、残業時間が多くなるということは、開発業務なら良くある話である。
方や、保守・運用業務に至っては必ずしもそうとはならないことも多く、酷い話では「出勤して朝メールを確認するだけで1日の業務が終わる」と言ったことも耳にする。こうした現場では当然ながら専門性など身に付かず、若い内に就いてしまうと後のキャリアで苦労することになる。

正社員がやるほどの仕事じゃないから

アウトソーシングが広まった要因としては、厳しすぎる解雇規制によって、会社運営側が社員を雇いたくないということが大きい。自社で雇うと解雇できないから外注するというのはわからなくはない。
問題はアウトソーシングをする理由の具体化の無さと、アウトソーシングをすることによる無駄なコストの発生だ。
例えば「正社員がやるほどの仕事じゃないから」という理由で派遣や外注を使うケースは良く聞く。すると何が起こるかと言えば、年収250万円の派遣や常駐ベンダー社員が業務に勤しむ傍ら、年収700万円の主任がスマホでゲームを楽しんでいるなどと言う話は、IT業界にいると少なからず聞く話である。
こんなものは自己満のアウトソーシングそのものだ。尤も、こうした年収700万円の主任が遊んでる傍ら、年収250万円な「協力会社」社員の会社には、それこそ年額800万円や1000万円払ってるというのがアウトソーシングである。
その逆も然りで、自社の社員が忙しそうなのにアウトソーシングで常駐している協力会社社員は暇すぎてネットサーフィンに勤しむしかないケースも多々ある。これは外部ベンダーに対しては「契約外の仕事をさせられない」ということからそうなるのだが、こうなるとアウトソーシングする意味自体がそもそも皆無である。

「毎日発生し」かつ「絶対に無くせない業務」は外注に向かない

コールセンター業務と言い役所の窓口業務と言い、外注することで余計なコストが発生しているのは明らかである。
通常、自社の従業者に払う時給を1500円とした場合、アウトソーシングで発生する時間単価は2500円以上は軽く掛かる。アウトソース受託者はここから従業者の社会保険料、有給取得分の賃金、採用に掛かる広告費などを支払っているのだから、受託企業の従事者の給料×2が請負単価と思って良い。よって受託企業の従事者も時給1500円と仮定した場合、アウトソーシングで発生する時間単価は3000円以上は覚悟しなければならない。
もちろん自社で従業員を雇っても社会保険料は発生するものであるから、だいたい従業員に払う給料×1.23が自社で雇ったときの発生費用となる。
コールセンターや役所の窓口の従事者を直雇用した場合、社会保険料を含めた1人月の人件費は30万円と仮定しよう。アウトソーサーに外注する場合、人月50万円以上は最低ラインとして請求される。1人で20万円の差額が発生しているのだから、10人になれば月200万、年になれば2400万円多く逃げることとなる。5年後には1億円の無駄金が発生するわけだ。
しかし、それでも「5年後に業務そのものが無くなる」なら無駄とは言い難い。業務が無くなるのだから、従業員の配置転換かレイオフが必要になるからだ。
そういう意味で「いつか必ず無くなる業務」に関しては外注するのが正解である。
システム開発などは外注されるのが基本だが、ウォーターフォール型開発であれば「いつか開発が終了する」ため、自社で社員を抱えないのが正解なのだ(但しアジャイル開発の場合は開発と保守が永続的に続くため事情は変わる)。
では同様の目線でコールセンター業務や役所の窓口業務を見てみたい。
「ウチはワトソン君が入ったらコールセンターを閉鎖します」
「ウチは窓口業務を完全にPepper君に置き換えます」
これなら確かにアウトソーシングに外注するのはアリである。
コールセンターにしろ役所の窓口にしろ、そこにいた人間をまるまる配置転換するのは大変だ。いつか必ず終わる業務だから外注するべきである。少なくとも筆者なら電話に出れるAI導入したら人間は全員解雇するだろう。人間が電話に出てくれなければ嫌だと言う顧客など、こちらから御免である。
しかし、現実にはコールセンターは無くせる状態になっていないし、役所の窓口を無くすこともまた不可能である。どれだけ電子申請が進もうが役所に来る人は来るのだ。残念ながらコールセンターも役所の窓口業務も、人が要らない時代は来ないであろう。
例えばコールセンターや役所の窓口業務を週2回しか開設しない、月3回しか開かないようであれば、それは外注するのも良いが、どちらも毎日開かれ、かつ無くならない業務であるという点は一緒だ。外注することで無駄な費用が発生しているのである。
因みにITに掛かるシステム運用の外注費は、参考までに時間単価は6000円以上になり、これを8h×20dすれば人月単価96万円になる。
このシステム運用にしても毎日発生する業務であるが、仮にマイグレーションすることはあっても「システムの利用を止める」ということは無いであろう。それならば自社の人間でITの利活用を出来る人材を雇った方が、可視コストだけで50%は下げることが出来るぞ。

コールセンターなんてSVになれる見込みが無ければ1年で辞めよ

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就労形態   2021/11/27   センチュリー・大橋

朝倉未来vs素人とのストリートファイトは「ただの虐め動画」だった

写真:諫早市のフリー写真素材より

ストリートファイトと言うのは当たり前であるが、現実にやったら決闘罪で逮捕であるが、Youtubeには決闘罪スレスレ案件な動画が流れることもあるらしい。
最近あったストリートファイト企画ではAbemaTV企画による「素人が朝倉未来を倒せたら1000万円」というものがあったそうだ。
その内容に関してYoutuberシバターが苦言を呈していた。
普段格闘技に関心のない筆者でもシバターの苦言が気になり、Twitterにアップされていた試合とも呼べぬ切り抜き動画を視てみたが、それはまぁ酷い内容であった。
素人参加者の内の一人である後藤祐樹は「歯が折れた」という噂が流れ、スポーツ報知では顔が腫れ上がった痛々しい姿がアップされている。
実際のところ歯が折られたということは無いようだが、鼻が折れたというのは本当のことのようである。
後に朝倉未来はシバターに反論しているが、少なくとも動画を視る限りにおいては、シバターの言うことが正解と言えるだろう。

シバター指摘の重要論点

かつてシバターは朝倉未来の企画した素人とのマッチメイクで、元ピーマンズスタンダードの南川と対戦したことがある。
この試合、よく見て見るとシバターは最初からガードの構えを出そうとしていることがわかる。どうしてそんな試合にしたのかは動画で語られていたが、素人との対戦に於いてプロが配慮しなければならない要点を述べている。

⓵素人相手にケガをさせてはいけない
素人は防御の仕方がわかっていない
⓷そもそも完全な素人とプロをマッチさせてはいけない

特にシバターの指摘で重要なのは「素人は防御の仕方がわかっていない」ということである。
いかんせん中学・高校の柔道でさえ大怪我をするのが格闘技というものである。後藤祐樹は「そもそも無謀だった」と突っ込まれているが、だからこそプロとしては後藤祐樹に配慮した戦い方が必要だったのではないかというところである。
スポニチが出した朝倉未来のシバターに対する反論記事で、元プロボクサーだった人がYahoo!コメントにこんな言葉を載せていた。

自分は元ボクサーだが、ボクシングでいうとたった1年くらいでもしっかりトレーニングを積んだ人とただの素人では雲泥の差が出ます。
おそらく1〜2分以内には素人が倒されるでしょう。そもそも素人がボクシンググローブをつけて力任せに無茶振りすると1分ももたずに手が上がらなくなります。
プロと素人がやるような企画は大きな事故が起こる前に止めるべきだと思います。

素人とプロなど、そもそもストリートファイトなど成立しようもないということだ。
プロを前にした素人はストリートファイターどころか、単に車に轢かれに行く歩行者に過ぎないということである。

格闘技啓蒙どころかただの虐め動画でしかない

一応ストリートファイトとは銘打ったものの、朝倉未来側としては「ストリートファイトを模したセットである」ということで、最低限の安全策は取られているとのことだが、それこそ朝倉未来のスープレックスで受け身を取れなかった後藤祐樹は、少し遅れて障害を起こしていたとしてもおかしいことではない。
いったい何故Abemaはこんな企画を良しとしたのか。シバターの動画を視る限り、Abemaに企業倫理は無かったのであろうか。
動画の内容も朝倉未来が素人2人へ一方的に暴行するような内容にしか見えず、格闘技の啓発どころか、虐めの促進にしかなっていない。
シバターは動画内で「格闘技界で飯を食ってる人がこんな企画を評価してはいけない、排除しなければならない」と言っていたが、正にその通りである。
そもそも動画の構成は全く「格闘技を楽しむ動画」にはなっていない。あの構成は「朝倉未来が素人を虐める光景を楽しむ動画」なのだ。だからこそプロの格闘家や解説者が「こんなものを評価してはいけないし排除しなければならない」のである。
かつてシバターが南川と戦った時に、朝倉へこう言っていた。
「こんなん流行らんやろ」
その時の朝倉の表情は茫然としたもののように見えたが、実際問題として流行るものではなかろうし、流行らせてもならないだろう。

介護事業者の数を半分に減らせー話はそこからだ

よい仕事をさせてないーそりゃ社員だって盗みも働くさ

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  2021/11/22   センチュリー・大橋

コールセンターなんてSVになれる見込みが無ければ1年で辞めよ☎

長崎港

尤も、コールセンターと言う仕事は将来性も無く、敢えて今のタイミングで就業するなら、一時期のバイト以外にやる理由は何もない。フルタイムで仕事するならSESにでも行ってプログラムなりサーバー、ネットワークのどれかを経験した方がよっぽど将来の役に立つ。
「AIには感情は理解できないから人間による対応(主にクレーム)は残る」という意見もある。
だが日本には等価交換を理解できない消費者が多いのだから、寧ろコールセンターから人間をレイオフして、全てワトソン君に置き換えた方が良いとすら言える。特に金を出さない消費者ほどクレームを言う声は大きいのだから、そうした客に人を割くのはリソースの無駄遣いである。

SV以上にならなきゃ何も残らないよ

業界の将来とは別にしても、個人のキャリア形成に於いてさえコールセンターは選択すべきでないし、仮にコールセンターに入ったらSVくらいはやっておかないと転職材料に困ることになる。
20代の転職ならいざ知らず、30代になると専門性やリーダー経験が求められてしまう。コールセンターで仕事していた場合、せめてSVにならないとリーダー経験をアピール出来ず、エンジニアリングスキルも持っていないものなら転職は大変である。
そんな人が仮にミイダスに登録してみたとしよう。またコールセンターのオファーが来ることになり、溜息をつくことになるだろう。逆にSVになってリーダー経験を積めば、それによってようやく「よりよい転職」への道も開かれるかもしれない。だが、基本的には10人に1人くらいしかSVにはなれないため、SVになるにもやはり狭き門である。しかも大半のセンターはSVになるためのプロセスが明文化されていなかったり、評価基準が曖昧であったりする。

昇進の見込み無ければ1年で転職せよ!! 長居は無用である

コールセンターの職歴を元に転職するなら、SV以上になってようやく意味を為す。オペレータのままでは殆ど何も足しにならない。
本来ならコールセンターなどと言う仕事に就かないのが最善の選択であるが、ワケあってコールセンターに就いている人もいるかもしれない。佐川急便ほどではないが、コールセンターもなかなかワケありな人が働いていることが多い職場でもある。世の中の底辺を見るという社会勉強には良いかもしれない職場だ。
だが、SVになれる見込みが無いなら長居は無用である。
取り扱い商材にもよるが、コールセンターはシフト制で回っていることが多く、良くも悪くも平日に休みを取りやすい。少なくとも1年過ごしたなら転職活動をすべしである。
なお、コールセンターのし仕事に就くのは避けるべしと書いているが、PC関連のテクニカルサポートに関しては経験しておく価値はある。テクニカルサポートに関しては相手のエラー内容を正確に聞き、解決方法の仮説を立てながら対処に当たることが多いため、IT系の仕事に転用しやすい。ある意味、コールセンターの仕事の中で唯一価値のある仕事だ。
テクニカルサポートでIT機器の経験を積み、SIerでシステム運用やサーバー構築の仕事を経験した後、社内SEを目指すなど、そういったキャリアプランを立てるならやっても良いかもしれない。だが、サービスの内容だの通販だのに関するサポートセンターは、ハッキリ言ってやる価値はゼロだ。君子危うきに近寄らずである。

合わない学校に行った時点で勉強はとてつもなく嫌いになる

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職業選択   2021/10/26   センチュリー・大橋

コールセンターなんてSVになれる見込みが無ければ1年で辞めよ☏

どんなに人手不足の時代と言われようとも、キャリアの形成はキチンとしておかなければ、人手が不足している企業にすら入れない。
尤も、人手不足と言っても本当に不足しているのは低賃金で働く末端の労働者だけなのかも知れず、上流に関わる仕事は今でさえ過剰人員かもしれない。
しかし、今のように売り手市場と言われる前から慢性的に人手不足だった職種が一つある。
コールセンター。
転職サイトによっては経験職種に該当職種が無いものがあり、メジャーな職種でありながら、その扱われ方は何とも微妙なものがある。今回はコールセンターにスポットを当てて、如何にオススメ出来ない仕事か語っていこう。

20代は絶対にフルタイムで就いてはならない

まずコールセンターと言う仕事は決して20代のうちに就いてはならない。学生時代のパートタイムで働くならいざ知らず、専業としてフルタイムでやるような仕事では決してないと断言しよう。
IT業界ではSESの評判は悪いが(多重請負の末端だから当然であるが)、ハッキリ言ってSESの方がまだマシな仕事が出来る。
コールセンターに20代のうちから就いてはいけない理由は3つある。

⓵スキルが身に付かない
⓶人間関係が悪い
⓷給料が悪い割に心疾患リスクは高い

この中でも特に目も当てられないのは⓷である。
消費者を相手にするコールセンターは客からのクレームをよく受けるが、一方で事務処理はミスが許されない。ほんのワンクリック間違えただけで偉い影響を与えることがあるのだ。電話(クレーム)だけでも神経を使うのに、事務処理までミスが許されないからストレスフルになる。こうした環境から心疾患リスクは高い職業だ。だが、そのリスクに見合った賃金は無い。
まして大半が非正規雇用だから、心疾患なんてやった暁にはサヨウナラである。いとも簡単に解雇される。こんなリスクを抱えながらも、身に付くスキルは何もない。本当に何も無いのである。

コミュニケーション能力が付くと言う妄言も程々にせよ

よくコールセンターで身に付くものに「コミュニケーション能力が付く」と言う謳い文句があるが、妄言も程々に願いたいものである。コールセンターでコミュニケーション能力が付くなどと言うことは無い。断言しても良い。コールセンターで何年働こうと、それだけではコミュニケーション能力は身に付かない。
では何故こコールセンターでコミュニケーション能力が身に付かないと言えるのか。
それはコールセンターに問い合わせる消費者の質が悪いからだ。
だいたいからして、サービス内容に関する問い合わせ窓口の場合、入電内容の9割はパターン化されている。ハッキリ言ってペッパー君でも勤まるぞ。
通信サービスの場合、良くある入電は解約だ。解約については電話でしか受け付けない場合も多いため、解約の入電は割合としてトップを占めるMVNOがあるかもしれない。この場合、解約料が発生するかしないかぐらいしかお客に伝えることは無い。あとはサヨウナラをするだけだ。
それ以外の質問でも9割方、公式サイトに書いてあることしか訊かれないから、ただ検索をするだけで問題は解決してしまう。ググれば解決するようなことを電話で問い合わせてくる質の低い客を相手にしたところで、身に付くものは何も無いのだ。こんな仕事はペッパー君なりワトソン君にやらせた方が、よっぽど生産性が高いだろう。

合わない学校に行った時点で勉強はとてつもなく嫌いになる

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職業選択   2021/10/23   センチュリー・大橋

そもそも合わない学校に行った時点で勉強はとてつもなく嫌いになる⓶

日本の職場の人間関係に対する満足度は南米以下日本人の職場における人間関係の満足度は何と南米以下。
今や10人いれば3人は職場の人間関係に不満を抱いていると言うのが日本の置かれた惨状である。
日本人は職場の人間関係を重視するはずなのに、なぜ人間関係に不満を抱える人が多くなるのか。明治大学国際日本学部の鈴木教授によると、この10年で悪化したものだと言う。
この10年で起きたことは何かと言えば、可処分所得の低下と格差の拡大、ヒエラルキーの固定化である。

聖ルチーア学園は現代企業の縮図だ

ひぐらしのなく頃に業:古手梨花への復讐を決意する北条沙都子

聖ルチーア学園は現代企業の人間関係の縮図だ。
「沙都子と一緒に聖ルチーア学園で生活するのが私の夢!!」
そう言って古手梨花に付き合わされるようにルチーア学園で生活する北条沙都子だが、勉強についていけなくなり、かつお嬢様学校特有のサロンに忌避感があったことも相まって転落の人生を歩んだ。
学力の低下に歯止めの掛からなくなった沙都子は自主退学を促され、補習室(企業で言う追い出し部屋)へと送られ、果ては禁固(懲戒処分)を受けたことで、古手梨花への復讐を画策することとなった。
あの学校の人間関係は極めてヒエラルキー成分が強い。古手梨花はヒエラルキーの頂点として、北条沙都子は底辺として位置することになり、このヒエラルキーは高校卒業するまでの3年間固定される。更にヒエラルキーが固定されることによって学校内での情報格差が発生し、それが更なる学力差を生む。
会社も同じようなもので、雇用形態は単なるヒエラルキー固定装置でしかない。中には正社員登用制度がある会社もあるが、アルバイトや契約社員から正社員になるのは狭き門であり、派遣社員から正社員となると、それは鍵付き障子の向こうへ行こうとするようなものだ。障子を破らねばならない。

自分の合う環境は自分自身で見つけねばならない

北条沙都子はお嬢様学校が肌に合うような女では無かった。が、同時に古手梨花は岐阜県の田舎村が合うような女でも無かったのである。
恐らく沙都子はルチーア学園を退学したのだろう。その後、別の高校に編入したのか、或いは働き始めたのかはわかりかねるが、聖ルチーア学園の制服を纏って新幹線に乗る梨花に、私服の沙都子と、2人は道を違える結果を迎えることになる。新幹線に乗る古手梨花を見送る北条沙都子
ひぐらしのなく頃には古手梨花を主人公とした物語だ。
旧版は前半戦こそ前原圭一視点で物語が始まるが、前半で前原圭一が問題提起をした後、本来の主人公である古手梨花が問題解決に挑むようになっている。
令和版は「業」で始まり「卒」で終わるが、この2文字を続けると「卒業」となる。
これ即ち、古手梨花がキチンとした意味で雛見沢(故郷)から卒業できるかが古手梨花のゴールとなり、一人の人間として成長するためには沙都子という障害を乗り越えられるか(地元の友人から自立できるか)が試されたのかも知れない。そして、古手梨花という人物は他でもない視聴者の分身である。
尤も、視聴者によって育った環境は違うから、梨花より沙都子に共感した人も多いかもしれない。
他所の街から越してきた前原圭一と竜宮レナはそれまで当事者(園崎魅音)にない視点を持ってきた、貴方(古手梨花)の保護者にしてアドバイザーである。
そして東京に出た後の梨花は、梨花自身の眼で自分の居場所を見つけねばならないのである。

本筋から離れるが、昭和58年で梨花と沙都子は小学5年生だから、ひかり号に乗るタイミングでは元号はちょうど平成に移行した頃であろうか。
当時は300系はまだ出ていなかったから、東海道新幹線の速達列車はまだ「ひかり」だったわけだ。
そこから20年でN700系が主流となり、のぞみ号は東京ー博多間は5時間で結べるようになったのだから、凄い時代になったものである。当時は東京一極集中のメインフレーム社会だった(と言っても今もだが)が、交通網やネットワークの発達に伴い、自分の置きたい環境に身を置くことは、平成元年に比べれば難しいものでは無いだろう。
近年、少しずつではあるが、IターンやJターンも盛り上がってきている。
果たして自分はどんな街で生き、どんな職場で働きたいのか。今の生活に消耗している人は今一度、自分のライフデザインやキャリアデザインを見直し、自分の居場所を見つけていって欲しい。そのために必要なものの一つが自立心である。

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  2021/10/03   センチュリー・大橋

そもそも合わない学校に行った時点で勉強はとてつもなく嫌いになる⓵

ひぐらしのなく頃に卒は、遂に古手梨花は北条沙都子の一騎打ちにまで発展させることが出来た。
まるでクロノトリガーのラヴォスコア戦を思わせる時空移動をしながら、互いに罵り合い、拳をぶつけ合う。何故か時空移動前のダメージはリセットされているが、沙都子から「嘘つき」と言われたことに激昂した梨花が反撃を加えるところで形勢逆転というところになった。

北条沙都子:ルチーア学園それにしても、である。
「高校生にもなって勉強くらい自分でしろ!!」
とは耳の痛いこと言葉であるが、沙都子が「嫌い嫌い」と「嫌い」を8回も連呼するほど勉強嫌いになったのは一体何が原因なのか。そうなってしまったことに梨花に責任は無いのかというのが疑問点として挙がってくる。
確かに「勉強に対するスタンス」という意味では梨花の主張は正しい。恐らく成功体験の多い人は梨花の主張に納得しやすいであろう。一方、挫折経験の多い人は沙都子の心情もわかるのではなかろうか。

本質的に沙都子にルチーアが合わない

思うに、沙都子を勉強嫌いにさせたのは、聖ルチーア学園で置かれた環境的な要因も大きい。
特に沙都子はルチーア学園に入るまで古手梨花の本性はよく知っていなかった。加えて沙都子はルチーア学園の他の女生徒とは全くウマが合わず、対人関係に苦労することになる。
こうしたトラブルというのは実は大人になっても有り得る問題だ。
高校という環境はある意味、少年少女が3年間辞められない職場と考えた方が現実的な学校の姿に近い。実際問題として会社は高校と仕組みが良く似ているのである。特に転職などは友人の紹介で入ると、立場の違いの変化や他の先輩との関係悪化を通じて気まずくなると言った話は珍しいものではない。
「友人の紹介で転職する」と言った人は誰しもが沙都子と似たような状態になり得ると見た方が良いだろう。
「友人に誘われて入った会社(学校)の社風(校風)が合わなくて孤立した」なんて状態になった場合、一人で入った時よりもストレスは大きなものとなる。
少し想像してみて欲しい。
あなたは友人の誘いでとある企業に転職した。転職先にどうにも肌の合わない先輩が多くいる。ある日、友人が先輩も同席するランチに誘ってきた。果たして同席したいと思えるだろうか。
聖ルチーア学園はミッションスクールであると同時にお金持ちが多く通う学校である。言ってしまうと、周りは皆、育ちが良い。古手家も実際には由緒正しき名家であるし、園崎家も裏社会の一員とは言え、やはり表向きは良い家柄に見えるだろう。
対する北条家は貧困家庭である。北条沙都子は言葉こそお嬢様言葉を使えど(本物のお嬢様曰く下品)それはペルソナの沙都子であり、わよね口調で喋る沙都子こそが地の沙都子なのだ。

大人だって合わない会社に入れば仕事は嫌いになる

確かにルチーア学園に入る前から沙都子は勉強が嫌いだったかもしれない。だが、ルチーアに入ったことで「更に勉強が嫌いになった」と見ることはできまいか。
少なくとも補習室に入る段階の沙都子は、うつ状態にあった可能性がある。

そもそもルチーア補習室にいる生徒の顔付きがうつ状態のそれである。
本当は辞めたいが、親に顔向け出来なくなるから辞められない。
恐らくここにいる女生徒は勉強が嫌いになるし、大学に行けるかはかなり怪しい。
現実世界の仕事とて大差はなく、古手梨花のように組織に馴染んだ人間にとって、その組織で行われる仕事や学業がハードなものであったとしても、人間関係が良好なら意外とやれてしまう。日本人は職場における人間関係は重視するが、逆に言うと人間関係が良好なだけでも、ある程度の不満は目を瞑れる面がある。
逆に言うと、仕事や学業そのものはハードでなかったとしても、人間関係が劣悪であると、それだけでパフォーマンスは目も当てられないほど低下するのだ。
そして悲しいかな、今の日本人は職場の人間関係に対する満足度はロシア以下、底辺のレベルに落ち込んでいるのである。

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進路選択   2021/10/02   センチュリー・大橋

「清掃員として時給1500円は高い」と言われる日本の薄給さが問題

毎日新聞社から「五輪清掃員が感じた失望」として、時給1500円で奴隷のように使われたという記事が波紋を呼んでいた。
「時給1500円って清掃員としちゃ高給だろ」
そんな声が犇めき合うTwitterだが、そうしたTwitterの反応には違和感を感じたものである。
まず、五輪業務ははスポット業務であり、レギュラーワークではないため、いくら高時給と言われようが仕事は持続しない。五輪が終われば案件終了となり、また次の仕事を探さなくてはならない。
それを加味すれば時給1500円は高いとは思えないのだが、それはそれとして、清掃員という仕事はエッセンシャルか非エッセンシャル(どうでも良い仕事)かの二極論で考えた時、どちらに位置するのかということである。

長崎県営バスと長崎本線

しかし誰かがやらなければならない

少なくとも清掃と言うのは、業務としてやるか否かを問わず、誰かがやらなくてはならない。
喫煙所を掃除する人がいなければ吸い殻の山であるし、新国立競技場の外はともすればビール缶がたくさん転がっているかもしれない。何と言っても手洗いの掃除は一番やりたくない。しかし、誰かが掃除をしなければ厠は御不浄となる。
2019年に台風15号が関東直撃をした際、南武線の1号車で満員の重圧に耐えきれず致してしまった御仁がいたと言われ、それが遅延の原因だったという伝説があるが、しかし「誰かが後始末をしなければ悪臭が充満していた」のである。
果たしてその掃除、時給1500円でやりたいと思えるだろうか?
私は時給2000円でもやりたくない。

日本はエッセンシャルワーカーの地位が低すぎる

コロナ禍になってからというもの、エッセンシャルワーカーという言葉が浸透したが、エッセンシャルワーカーはいなければ社会が回らない存在にも関わらず、その地位や賃金は低い。
恐らく多くのエッセンシャルワーカーは、東京の賃金でさえ年収にして300万行けば良い方であろう。いや、寧ろ年収300万に達したエッセンシャルワーカーは、医療業界とインフラ業界を除けば軒並み基本給が低いから、かなり残業を重ねているのではないか。不思議なことに年収が高くなればなるほど、実は社会にとってどうでも良い(いなくても回る)存在になる。
例えばメーカーの営業マネージャーはいないよりはいた方が良いが、いなくても社会は回る。SIerの営業マンなどもっと酷い。というよりあの業界はエンジニア以外必要ないだろう。営業をやるにしてはセールスエンジニアでない営業マンは完全に不要だ。
経営者はどうだ。それこそ人工知能に投資できる日本企業なら、意思決定はワトソン君に任せた方が良いのではないか。ワトソン君の方が他の取締役に忖度しない意思決定が出来るだろう。そうしたら受付嬢はペッパー君にされてしまうかも知れないが。

しかし、これほどITが進歩した時代になっても、トラックの運転(物流)は人にしか出来ないし、厠掃除も人にしか出来ないのだ。
今後ドローン配送が出来るようになれば、小さな荷物はドローンで任せられるかもしれない。だが、大きな荷物や大量の荷物を運ぶには人の介在が必要になる。
「清掃員の時給1500円は高いが何か?」
それはその通りだろう。相場から見たならば。
だが、誰かがやらなければならないにも関わらず、日本の相場が安いのではないかと考えることもできないか。
少なくとも、PCを扱うのに比べれば難しい仕事だぞ、厠掃除というものは。

与党批判だけでは支持は集まらぬ

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就労形態   2021/09/12   センチュリー・大橋

よい仕事をさせてないーそりゃ社員だって盗みも働くさ<2>

太地町清掃センター

思うに「さぶれ」なる人物のSMBCソースコード流出騒動にしても、ブロードリンク社によるHDD転売事件にしても、これは氷山の一角と見るべきである。
ある意味でSIerの多重請負構造については、恐らく日本でしか成立できないビジネスとなるだろう。日本でそうした社員による盗みが少ない(或いは単純に発覚してない)のは、何も日本人がアメリカ人と違って善良な人の割合が多いというわけでは無い。同様に「盗まずにはいられない人」が少ないわけではない。やはり90%が次の3つの要因が揃えば盗みを働き得るのである。

1.盗む必要があること、あるいはそう感じられること
2.盗むという行為を正当化すする能力
3.見つからないと信じること

要は「さぶれ」なるプログラマーもブロードリンク社のHDD転売者も、この3つのどれかが当てはまり、ソースコードやHDDを盗んだのである。
さぶれ曰く「年収300万からもっと年収の良い会社に転職をしたかったから自分の力量を診断した」とのことで、理由は明確である。
これは「プログラムは書けてもコンプライアンスは知らない」ことによって起きた事件であり、悪意なく無知のままソースコードを盗んでしまったのだ。
それでも日本で盗みが少ないのは日本人が善良だからではない。アメリカ人と比べて臆病だからである。
もし日本のSI産業をそのままアメリカでやったら大変だ。いや、アメリカどころではない。日本以外では全く通用しないビジネスモデルである。よくもまぁ、こんな産業が2021年まで生き残ってきたものだと感心しかしない。勿論、悪い意味でだ。

衣食足りぬものに礼節は期待できぬ

「さぶれ」を雇用していたSESにしてもブロードリンク社にしても、働き手は労働時間の割に収入は良くない。恐らく毎月の手取りでは20万前後しかないだろう。
ちなみにダン・ケネディの父は給料が安い仕事を幾つか掛け持ち、真面目に勤務に励んでいたそうである。だが、そんな父のことをケネディはこう書いている。

全体として見れば、私の父以上の従業員を見つけることはできないだろう。いつも準備万全。時間を守り、有能で、態度も立派、自分に厳しく、殆ど監督を必要とせず、品質管理やものごとを正しく行うという倫理観を持っていた。
しかしながら、父は繰り返される盗みの共犯者でもあったのだ。そしてそれがばれる心配はなかった。その気前のいいシェフは、自分の車にもお楽しみ袋を入れていたに違いない。
(中略)
父がくち口にした十余りの言い訳を今も覚えている。
「給料が安いんだ」
「ホテルは金持ちが経営していて、ポークチョップのパッケージが1個(あるいはビーフステーキが5キロ)なくなったって惜しくもなんともないんだ」
「上司が脳たりんなのさ」
こういった具合である。事実、私たちは本当に、本当に、本当に食べ物が必要だった。

IT土方とも揶揄される日本のSI産業は多重請負構造に成り立っており、2次請け以下のSES社員は給料が安く、雇用も不安定である。
安定した雇用や地位、給料を求めて社内SEへの転職を望む者は数知れず、盗みは起きやすい環境にある。かくしてソースコードは盗まれるのだが、寧ろSMBCソースコード流出までよく表面化しなかったものである。
SIerも顧客のIT部門も猛省すべきであろう。

平均以上の賃金を出して結果を出すことを求めよ

ダン・ケネディは「顧客と関わる全ての従業員に良い仕事をさせ、良い職場環境と平均以上の賃金を出しなさい。ただし、これは気前が良いからではない。」と書いている。
魅力ある職場に出来れば単に離職率が下がるだけではなく、不祥事を避けることも出来る。もっと言うと「金出すから結果を出せ。その代わり成果出せないと解雇するぞ」という環境構築が必要というのがケネディの考え方のようだが、やはり会社を富ませるためにも従業員満足度の向上は必要なのだ。
それは下請け会社の人間とて例外ではなく、下請け(協力)会社の人間の不満を放置すると、いくら自社の社員の満足度を高めようが全て下に引っ張られるのである。
ここ最近、日本企業の不祥事が絶えない。
問題を起こした人間だけを懲戒(鳥海)山不祥寺送りにすれば万事解決、というわけにはいかない。
不祥事が起きた構造的な問題にしっかりと向き合い、原因を除去しなければ、再び不祥事は繰り返されるであろう。

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就労形態   2021/08/19   センチュリー・大橋

よい仕事をさせてないーそりゃ社員だって盗みも働くさ<1>

ワイドビュー南紀の車窓(D席)
写真:ワイドビュー南紀の車窓より

神奈川県のHDD転売事件があってからというもの、リース期限や耐用年数の切れた備品は廃棄ありきの運用になっている。
今後、所有権の移転を伴わないリース契約がどれだけの需要を保てるか怪しいところではあるが、元の需要は回復できまい。

CE(カスタマーエンジニア)にしろSE(システムエンジニア)にしろ、ITは何かと構造的に色んな問題が潜む業界だ。
いや、日本の産業構造が歪なのかも知れぬが、先「さぶれ」なる者が行ったSMBCソースコード流出騒動についても起こるべくして起きたものである。
SMBCソースコード流出からは早半年が経過したが、恐らくSIer各社は事件が起きた原因は総括出来ていないであろう。
根本的な問題はまだ解決しておらず、また忘れた頃に似たような事件が起きたりするものである。

世の中に善良な人は僅か5%しかいない

つい最近、ダン・ケネディの著書、世界一シビアな「社長力」養成講座を読む機会があり、アメリカの中小企業の現実を知ることのできる内容ともなっていた、
アメリカの企業では従業員による盗みは珍しいものでは無いようである。だが、不思議と経営者が「ウチの従業員に限って盗みなんかしない」と思う点に関しては、どうやら日本と大きな差は無さそうだ。

日本の従業員世界はアメリカと比べれば相互監視の進んだ社会であろうから、アメリカ的な経営手法がそのまま日本で通じるわけではなさそうだが、しかし日本の従業員でも盗みを働く者がいることは確かである。
「さぶれ」なる艦これ提督はソースコードを盗んでしまったし、ブロードリンク社のCEはHDDを盗んでしまった。さぶれ氏は嫌韓ネット右翼であったことも一部では知られていたが、こうした諸問題を「個人の資質」として片付けることは些か危険であることは、ダン・ケネディの著書からも改めて確認することができる。

ブロードリンクは富士通リースの下請けとして入っていた企業だが、ブロードリンクと並んでやばいのが、HDD処理を丸投げして業務が適正に完了しているか確認しなかったことにある。
では富士通リースがHDD転売を受けて業務管理の在り方を反省しているかというと、恐らくそれは無いだろう。

世界一シビアな「社長力」養成講座でダン・ケネディはこのように述べている。

「あなたに対して嘘はつきませんし、盗みも働きません」などと言う人間のほとんどは嘘つきだ。100人中5人の確率なのだから。
どんな状況ででも、何のメリットがなくても、嘘をつき、欺き、盗みを働くよう生まれついた人も5%いる。盗まずにはいられないのだ。
(中略)
だが、そういった手に負えない性質を持った人間にあなたが出会う確率もやはり、100人中5人なのだ。
私やあなたはその中間の90%にいて、さまざまな問題を引き起こす。
盗みをするために必要な要素は次の3つだ。

1.盗む必要があること、あるいはそう感じられること
2.盗むという行為を正当化すする能力
3.見つからないと信じること

改めて言うと、世の中の95%の人間は盗みをし得る人間ということである。
日本人はあまり性悪説に立ってものを考えるのは得意ではないようであるが、業務において性善説は危険な思想だ。
性善説などと言うものは真っ先に排除しなければならない

下請け社員のエンゲージメントは低いまま

昨今では従業員エンゲージメントの重要性に気付いて社風改革に取り組む企業は増えてきた。そう、恐らく三井住友銀行だってブロードリンクの元請けである富士通だって従業員エンゲージメントの重要性というのは頭ではわかっている筈なのだ。だから自社の社員に対してはエンゲージメントの向上に努めていることだろう。

では下請け会社というのはどうなのか。
残念ながらSI業界における下請け企業のエンゲージメントに対する認識は何も変わっていない。昭和のままである。
そもそも下請け会社の経営者からして見れば「人が売れればOK」でしかなく、エンゲージメントなど気にもかけることはないのだ。

上場企業なら従業員エンゲージメントを重視する企業は少なくないだろう。
だが、自社の社員のエンゲージメントを高めたとしても、下請け企業の社員が業務や自社、或いは元請け企業に対する不満度が高ければ、全ては下に引っ張られることになる。
下請け企業の社員に客先常駐をさせている企業は、匿名性を保証した上で下請け企業の社員達に不満度調査をやってみると良い。
下請け社員の不満度を★5ランクで評価し、★2.5を超えるようであれば、下請け(協力会社とも言われる)社員の誰かが盗みを働いていると警戒した方が良い。
「さぶれ」なる人物がソースコードを盗み、ブロードリンク社員がHDDを盗んだように、どんなに自社の社員のエンゲージメントを高めようが、下請け会社の社員のエンゲージメントが低いと、一発の盗みで全てが台無しになる。
 

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就労形態   2021/08/18   センチュリー・大橋

梨花と沙都子の失敗から:進路決定は友人と同じを選択することなかれ

テレビアニメ「ひぐらしのなく頃に卒」が7月から放送されている。
旧版ひぐらしは祭囃し編にて惨劇から抜け出し、古手梨花の本当の人生が始まると言わんばかりの終わり方だった。
ところが「ひぐらしのなく頃に業」では、古手梨花が高校進学後、北条沙都子との間に生まれた確執により、再び昭和58年をループさせられるという事態に発展した。

ひぐらしのなく頃に業:古手梨花への復讐を決意する北条沙都子

ひぐらしのなく頃に業:古手梨花への復讐を決意する北条沙都子

なぜ古手梨花と北条沙都子に確執が生まれたのかを簡潔に説明すると、一人でお嬢様学校に進学するのを恐れた古手梨花が、北条沙都子を巻き込んだためである。
一方、北条沙都子はお嬢様学校に行くことを拒んでいたが、それでも古手梨花に説得され、しぶしぶ同じ学校への進学を了承したが、進学先のお嬢様学校で古手梨花には新たな友達(というよりは取り巻き)が出来たことにより、北条沙都子は孤立。
梨花から「沙都子を絶対一人にしない!」という約束を受けていた沙都子は、孤立させられたことを強く恨み、悪い神様から得た力を使って復讐を決意する。それが令和版ひぐらしの惨劇の幕開けとなるのである。

 

梨花も沙都子も互いの本性を知らなかった

古手梨花と北条沙都子の人間関係の亀裂を見ると、一つだけ確かに明らかなことがある。
それは両者とも互いの本性を知らなかったということだ。
特にショックが大きかったのは沙都子であろう。古手梨花という人物は割と自分のことしか興味がない人間である。そのため、取り巻きが出来、かつサロンで美味しいケーキをつまみながら新しい友達と談笑することに楽しみを覚え、旧友はほっぽってしまった。沙都子は梨花のこうした本性に気付くことが出来ず、孤立を深めてしまうことになる。
もちろん梨花も梨花で沙都子に対する油断があったため、沙都子が報復に及んでくるとは思いもしなかったのだ。
ひぐらしのなく頃に卒のジャケット絵は、梨花と沙都子の関係が修復不可能なほど悪化したことを示している。
全寮制のお嬢様学校に行く選択をするにあたり、梨花は沙都子に「貴方を絶対一人にはしない!」と言って沙都子が激昂する場面がある。ループの中で沙都子が梨花の本性を知ってしまったために激昂したのだが、恐らく最初の人生でも梨花は沙都子を力づくで説得したのであろう。
梨花も沙都子もおお互いの本性を知らなかったことで悲劇が起きたが、実際の人間関係でも「9年一緒にいても実は互いを良く知ってなかった」というのは、往々にしてあることではなかろうか。

環境が変われば立場も人間環境も変わると知るべし

尤も、ひぐらしのなく頃にシリーズ全体を通して見ると、ある編からは古手梨花と北条沙都子は本来波長が合わなかったのではないかということがわかる。
ではなぜ本編での梨花と沙都子が「親友」でいられたのかというと、共に親を亡くし、閉鎖された村社会の中でずっと同じ教室で過ごし、同じ家で暮らしてきたからこそ「親友」としての「立場」が保たれたのではないかと思われる。
即ち同じ学校に通うようになっても、2人の「性質」が異なる以上、当然、人間関係も変化していく。
梨花はお嬢様学校のエリート達と波長が合ったが沙都子には合わなかったのだ。この違いが両者の立場の違いへと発展し、人間関係に亀裂が走ることとなった。
北条沙都子は「私は勉強が嫌いだ」と言っていた。沙都子にとって、聖ルチーア学園にいるということはそれ自体が地獄なのであり、サロンでケーキを頬張る梨花と異なり、勉強を頑張ることによる精神的報酬が無い。
確かに雛見沢にいる間は古手梨花と北条沙都子は友達同士であった。だが、環境が変われば立場が変わる。新しい環境に入る一瞬は同じ立場であったとしても、時間と共に立場には差がついてしまうのだ。

会社とよく似た聖ルチーア学園:あれは未来の会社員に待つ光景だ

学校と会社の違いを説明しろと言われると些か難しいものだが(日本の会社は学校の延長にあるため)、聖ルチーア学園は特に企業の姿のそれと良く似ている。
古手梨花が参加していたサロンなどは成績上位者に許されたお茶会であると思われるが、会社組織の中でも役職が上の人間ほど会社のお金で豪華なものを食べに行けたりする。接待という奴である。そうでなくとも人脈形成の機会にも恵まれ、学びや意見交換の場も役職が上がるほど貰えるようになる。
聖ルチーア学園の補習室:企業の追い出し部屋とよく似ている

方やカーストの下に置かれると大変である。
北条沙都子は補習室と独房を経験したが、補習室などは正に企業の追い出し部屋そのものだ。加えてルチーアの場合、生徒を退学させることはしない。あくまでも「自主退職届を出せ」と言うのだ。この点も会社のシステムと酷似しており、ひぐらしのなく頃に業を通して「友達同士で同じ進路を選ぼうとしてはいけない」ということを暗に教えてくれている。
勿論お笑いやバンド活動なんかは友達同士で始めてプロになったグループもいるし、友人同士で同じ会社に就職するというケースは、あるにはある。
しかし、アーティストがギャラで揉めることがあるように、同じ会社に友達同士で就職すると、立場(役職)の違いが出来た時に亀裂が走ることも有り得る。
仮に同じ学校・同じ職場に勤めることとなったとしても「結果的に同じ会社(学校)」になったのか「プロセス的に同じ会社(学校)」になったのかで気の持ちようも変わって来るだろう。
古手梨花と北条沙都子は「プロセス的に同じ学校になった」のであり、梨花の思い描いた高校生活と沙都子の懸念した高校生活に大きな食い違いがあったであろうことが否めない。
「結果的に同じ学校になった」のなら大きなトラブルは起きなかったであろう。しかし「プロセス的に同じ進路を取るような選択をした」からこそ大きなトラブルになったのだ。
どうしても一緒の道を歩きたい友人がいるなら、それはその友人に「自分と同じ道を歩く適正があるか」の見極めが必要になるだろう。古手梨花はその見極めを怠った。さすがに北条沙都子クラスの過ちを起こす人はいないであろうが、人を自分と同じ進路に誘うには責任が伴うということは覚えておいた方が良い。
「金の切れ目は縁の切れ目」と言うが、もしかしたら「立場の分かれ目は友情のヒビ割れ」になるのかもしれない。
進路というものは「友達と一緒」の道を選択してはならない。あくまでも「行った先で何を得たいか」をベースに進路を考えるべきではないだろうか。

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職業選択   2021/07/09   センチュリー・大橋
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