「スポーツに政治を持ち込むな」という日本人が犯している間違い⓶
大きな金が動くスポーツイベント
4年に1度しかない国際大会では、招致に向けて政治家が大いに関わっていることは先に述べた通りである。
東京地検特捜部による捜索が続いている五輪汚職だが、東京オリンピックだけを見ても、安倍晋三、小池百合子、森喜朗と言った政治家が招致・運営に関わっている。それは招致することに対する政治的なメリットがあるから政治家が動くのであり、政治的な意図が無ければ動くことは無いだろう。
「スポーツに政治を持ち込むな」と言うなら、政治家は一切スポーツ大会の招致や運営に関わらないようにした上で言ってもらいたい。
だが、現実には政治家を関わらせずに五輪やW杯を招致出来るかと言えば、そんなことも無いだろう。
加えて一度招致すれば莫大な金が動くことになる。
東京五輪の新国立競技場にしろカタールW杯のスタジアムにしろ、ビッグイベントの招致後には巨大な公共事業が絡んでくる。正に政競一致と言ったところである。
開催国に問われる品格
ナチスドイツの五輪招致以降、ビッグイベント開催国は自国の「物質的な豊かさ」を示す手段として、スポーツ大会を招致してきたのではなかろうか。
ところがオリンピックは本来「このスポーツ大会をやる間だけは休戦しましょう」という政治的なイベントなのである。そしてW杯はオリンピックを意識して造られたものだ。
W杯の起源はパリオリンピック(1924年)とアムステルダムオリンピック(1928年)にある。
この2大会でサッカーは大成功を収めたことから、1930年にウルグアイで初のW杯が開催された。4年に1度開催する理由もオリンピックを意識したものだからだ。
ビッグイベントは招致する側としては物質的な豊かさを示すため、或いは国内の公共事業を通して経済活動を促進するためと言った目的があろう。
一方で、他の国(特にヨーロッパ)から見たスポーツイベント開催国というのは、単に物質的な豊かさを持っているだけでなく、人権を守る国なのかどうかということが、よく問われる時代になってきたように見える。
カタールのW杯に対し、ヨーロッパnnのにんは下記の2つの点を問題視している。
⓵W杯招致してから10年で6500人の外国人労働者が亡くなっている
⓶カタールは法律で同性愛が禁止されている
日本人にとってはどうでも良い内容かもしれないが、ヨーロッパ人にとってはこれがどうでもよい話ではない。
北京ではと冬季オリンピックが予定されているが、やはりウイグル問題などで糾弾されることであろう。今やスポーツのビッグイベントは開催国としての品格が求められる時代となってきたと言える。
五輪やW杯は今や政治の一部である
オリンピックやW杯は今や政治の一部である。いや、寧ろオリンピックは成立そのものが政治そのものであり、政治と切り離すことが出来ないものだ。
それ故に「スポーツに政治を持ち込むな」というのは、少なくともオリンピックやW杯では筋違いというものである。
とは言え、やはりカタール開催のW杯に於いて、カタール開催の持つ政治性を無視出来た日韓と、そうではない西欧とでは、やはり試合そのものに対する影響はありそうではある。
西欧はカタール開催にあたり「開催国として人権を尊重する国なのか」ということを重視している。反面、日本や韓国は労働者の人権を尊重すると言った習慣がない。それ故にカタール開催に当たっても政治問題になり辛く、寧ろそうしたカタールの政治的な問題は報道されてこなかった節がある。
FIFAはアジア勢が西欧勢に勝って大番狂わせをする展開を予見していたようであるが、こうした「政治的背景」を考慮すると、アジアが西欧勢に勝っているのは何も大番狂わせとまでは言えない。
当然の展開とは言わずとも予想は出来たものであり、労働者の人権を守る習慣の無い国が結果的にW杯で優位なポジションを取っていくというのは、なんとも皮肉な展開としか言いようはない。