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2023年

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品質管理の三現主義はジャーナリズムに於いても必要なものである⓶

すべては現場で回っている

写真:七尾市のフリー写真素材より

品質管理の三現主義はジャーナリズムにおいても重要な要素である。
どん兵衛不買運動の実際はどうだったかは、各コンビニへの聞き込み調査を行うことで、本当に日清食品や小売店に打撃があったのかは調査できる。

少なくともジャーナリストを名乗るものが取材すら行わずにShareNewsJapanの記事を拡散するなど論外で、本当にどん兵衛不買が効果出ているかを確認するには小売店に出向くべきである。
どん兵衛不買運動が効いているか否かは小売店に出向き、インタビューをすれば推し量ることができるだろう。

偏向報道だとは言うが…

ネットには「偏向報道が嫌いだ」という者が多くいるが、そういう者ほど「自らの偏向ぶり」は正そうとしないものである。
メディアが偏向しているのは当たり前の話であって、何なら加藤清隆が拡散したShareNewsJapanも「大きく偏向」している。

そもそも政治系まとめサイトの多くは1次情報源がマスコミ、ツイートに過ぎない。
自ら取材しに行くようなら到底1日5記事、10記事は書けないだろう。
何よりマスメディアもネットメディアもアクセスを稼ぐには「想定読者層(想定購買客)」を設定し、その読者に応えられるように記事を書いている。
当然、ニュートラルな視点に立ったメディアなど存在しないのであって、人間と言うのは偏向しているのが常である。

当然、まとめサイトも想定読者層を設定している。
取り分け、政治系まとめサイトは悪口が多いのであるから、コンプレックスを持った人間が想定読者層と考えられる。
人のコンプレックスを刺激して他人の悪口を言えることがコンプレックスを抱えた人間の快楽となり、快楽を満たす欲求が「偏向した記事」を拡散する。
要は、どん兵衛不買騒動なども「本当に日清食品がダメージを受けているかはどうでも良い」のであり、単に「どん兵衛不買運動が効いていると思えれば良かった」のである。
そこに三現主義の視点など全くない。

基本的にネットメディアはマスコミより信憑性が薄い

マスコミの信頼性が問われる時代になったが、とは言え政治ジャンルにおけるネットメディアの信用性など、たかが知れたものである。
曲がりなりにもマスコミと言うのは現場で取材をし、現物に触れたものを情報として提供しているものが多い(もちろん全てではない)

一方、ネットメディアは現場に行っていること自体が少ないし、当然現物に触れていることも多くない。
そこから現実的に考えているかと言えば、だいぶ憶測や推測、願望があり、願望を記事にしているだけということも多いものだ。

ネットで決まり文句のように効かれることの一つが「マスコミが報じない真実」であるが、マスコミが報じない真実がネットに出回るかと言えば、それはないだろう。
それが出回るのは誰かが現場に行き、現実に触れた時である。
結局のところ、マスコミが報じない真実と言うのはネットではなく、現場にあるのである。
だからこそジャーナリズムには三現主義の視点が必要なのだ。

品質管理の基本知識として度々目にする三現主義であるが、ジャーナリズムとは正に三現主義の視点で論じるべきなのである。

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ジャーナリズム   2023/12/27   センチュリー・大橋

品質管理の三現主義はジャーナリズムに於いても必要なものである⓵

品質管理の三現主義

品質管理の勉強をしていると確実に習うことの一つが三現主義である。
これは現場・現物・現実の略であるが、これに原理・原則を加えて5ゲン主義と呼ぶこともある。
品質管理では「物事は現場で動く」と言う発想が大前提にあり、現物に触れて現実的に考えるということが大原則だ。

それは情報セキュリティ3要素(気密性、完全性、可溶性)があるように、品質管理においても3原則があるということである。
そして、この品質管理三現主義はジャーナリズムにおいても通ずる原則であり、やはりジャーナリズムも現場・現物・現実は最低限抑えるべきことである。

取材を怠るジャーナリスト

インターネットの世界でPVをよく稼ぐサイトには、まとめサイトの存在がある。
まとめサイトは便利ではあるが、こと政治というジャンルに至っては過信は禁物だ。

政治系まとめサイトには「誘導したい方向性」というものがあり、必ずしも事実を映し出すものではないことに注意が必要だ。
先日、アンミカが杉田水脈を批判したことで、Twitterでは右翼側より「不買運動だ」と騒ぎが起こり、アンミカを密入国者とするデマが出回った。

この時、ShareNewsJapanというまとめサイトが「最強どん兵衛がカゴ売り」と騒ぎ立てたのだが、このツイートを拾った加藤清隆は「どん兵衛不買運動が効いている」としてツイートを拡散。
この事実確認のため、京都市内のファミリーマートとローソン計5店舗へ聞き込みを行ったが、そもそも不買運動がコンビニ店員に認知されておらず、どん兵衛の売れ行きが激減しているなどと言う事実も無かった。

加藤清隆は早稲田大学を卒業し、時事通信社で記者を経験した後、政治評論家を名乗るジャーナリストである。
曲がりなりにもジャーナリストを名乗るのであれば、取材をすることは必要だ。
だが、加藤は取材を怠ったのである。

そもそも店舗の名前すらわからず

ShareNewsJapanはTwitterから、どん兵衛がカゴ売りされているツイートを拾って自サイトで貼っただけである。
当のツイートは店舗の詳細が全くわからないものであった。
つまり、どのような意図で店舗がどん兵衛を3個で200円引きしていたのかはわからないのである。

参考までに当該ツイートが為されていた日は、ファミリーマートとローソンでは、どん兵衛2個購入で100円引きセールをやっていた。
該当のどん兵衛がカゴ売りされていたのはコンビニエンスストアと思われるが、仮にファミリーマートかローソンと仮定した場合、本部の指示とは別に「何かしらの思惑」があって3個で200円引きをしていたと思われる。

年末商戦期のために他店に対抗していた可能性もあるし、本当に売れ残っていたのかもしれない。
それはジャーナリストであるなら、正に取材によって検証すべきだったのだ。

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ジャーナリズム   2023/12/26   センチュリー・大橋

芸能人の不倫報道の期間が長すぎる…所詮は当事者間の問題でしかない⓶

写真:白山市のフリー写真素材より

不倫報道を求める消費者がいる

芸能人の不倫報道は報道機関が長すぎる。
ベッキーにしろ広末涼子にしろ、芸能人の不倫報道と言うのはなかなかに長い。
不倫報道とはズレるが、渡部健の不貞行為に関する報道もまた長かった。
これらの報道期間に対して「国会から目を逸らす報道だ」と言う声もあるが、残念ながらマスメディア各社に国会からの目逸らしの意図はない。
「売れるから報道しているだけ」なのだ。
要はそれを求める消費者がいるだけなのである。

不倫報道という名のエンタメ

では何故不倫報道を求める視聴者がいるのか。
これは不倫報道がエンターテイメントとして機能しているからと考えた方が良いだろう。
普段、政治に対しては不満を(あっても)言わないような人が、不倫報道になると過激になったりする。
だいたいこうした不倫報道が出た芸能人は活動休止や引退に追い込まれるが、ではそうした芸能人が活動休止や引退に追い込まれて社会が良くなるのかというと、そんなことは全くない。

言ってしまえば「悪は裁かれた」という私的制裁欲を満たすためのものにしかならず、公益性など全くないのである。
それでも政治の世界と比べると不倫バッシングと言うのは、まことしやかに参加者が多い。
政治の世界と違い、時の内閣に比べて芸能人の不倫報道は不倫をした芸能人が圧倒的な弱者となり、叩きやすいというのもあるのかも知れない。

小難しい政治の世界と比べて不倫は「やった奴が絶対悪い」という単純さもまたわかりやすい。
そうして芸能人の不倫報道は「エンターテイメント」として消費されてゆくのである。

正義を行使するより自身にも危機感を持つ方が良い

芸能人の不倫報道に公益性は無く、それで引退や活動休止する芸能人が出たところで社会は微塵も良くならないが、芸能人の不倫報道などというのは正義に酔うより「自分が不倫の当事者にならないように」と当事者意識を持って眺めるくらいがちょうど良いのではなかろうか。

一件、異性と縁の無さそうな面構えの者が意外と異性トラブルを起こしていると言ったことがある。
「自分は大丈夫」と思っていても、それが「意外なところから恋愛関係に発展してしまう」ということがあるものだ。
せいぜい芸能人の不倫報道は、そういう視点で見れるかどうかが価値のある要素と言えるだろう。

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ジャーナリズム   2023/08/02   センチュリー・大橋

芸能人の不倫報道の期間が長すぎる…所詮は当事者間の問題でしかない⓵

不倫報道に報道の価値無し

紫陽花は人間には毒があるというが、紫陽花の如く危険な恋に走ってしまう人もいるものである。
かつて大ブレイクした芸能人の不倫話は報道として長引く様相があり、広末涼子が今回のターゲットになったようである。

芸能界は一般的な職業と比較すると異性の自然な出会いも多く、或いは今回は両名とも配偶者持ちだったようで、配偶者持ちにしかわからない悩みなどの共有から、思わぬ恋に発展してしまうこともあるようだ。

かつて売れていた芸能人の不倫報道。
それは一瞬で終わる分には「まぁ報道しても良いだろう」と思われるが、しかし日本の場合、芸能人の不倫の報道機関が長すぎる
ベッキー不倫騒動にしてもそうであったが、そんなものは1週間も2週間も、まして1ヶ月も報道する価値のあるものではない。
たった1回、3分報道すれば十分な内容である。

掘り下げる価値無し

ある物事について長い期間報道する時、それは「掘り下げる価値があるか否か」と言うことが大事な視点になる。
例えば凶弾に倒れた安倍晋三であるが、安倍晋三と山上徹也の事件は掘り下げることにより、政教分離が出来ていない日本の問題が明らかとなった。
靖国問題にしても外交問題としての側面もさることながら、やはり政教分離の原則に反するという側面も大きい。

三菱の品質不正についてはどうか。
やはりほ掘り下げることにより、日本の企業の危機管理や品質管理の甘さが露呈しているということがわかる。
これは三菱だけの問題ではなく、日本の企業全体に起きている危険性があるものであり、掘り下げる価値は十分にある。

では芸能人の不倫報道はどうだろうか。
これはどこまで行っても当人同士の問題でしかない。どれだけ掘り下げても行き着く先は当人同士の問題でしかないのである。

不倫報道を長くやっていられるほど日本は平和なのか

不倫報道に限ったことではないが、日本のニュースは全般的に芸能の占める割合が大きいと言われている。
世界のYahoo!で芸能ニュースがトップニュースのカテゴリーに並ぶ割合を見たところ、アメリカは3%、英国は12%、日本は35%が芸能ニュースで占められていたという。
尤も、日本のYahoo!だけは世界のYahoo!とは運営元が異なるため、単純比較はできないが、しかし日本の報道は芸能関係が多いことは概ね間違いではない。
ベッキー不倫騒動など、凡そ10か月間も報道されていた。ベッキーの不倫など誰が知ったところで何の得もしないのに、である。

こうした不倫騒動が報道される背景として「それだけ日本が平和だから」という言葉も聞かれる。
しかし、今の日本はそれだけ平和と言えるのか。
確かに治安(犯罪の件数)という点だけを見れば平和に思えるが、しかし経済や政治の観点では、課題が山積みである。平和どころか危機が眼前に迫っているのが実情であり、とても他人の不倫など気にしている場合ではない。

少子高齢化然り、身寄りのない人間の増加然りで、危機は進行中である。

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ジャーナリズム   2023/06/19   センチュリー・大橋

未成年にSNSは早かった:世の中高年が思う以上に中高生は子供である⓶

現在は対処療法しか行われていない

写真:白山市のフリー写真素材より

恐らく多くの保護者がニュースなどで目にするバイトテロと言うものに対し、他人事だと考えているであろう。
しかし、子供(特に男児)を持つ親は「自分の子供も同じことをしてしまうかも知れない」という危機感は持たねばならない。
特に近頃は問題行為からマスコミのニュースになるまでのスピードが極めて速い。

多くは身内向けに配信した動画が何等かの経路で外部に漏れ、Twitterなどで拡散されているわけだが、結局のところ「起きたトラブルに対処する」ということしか出来ていないのが実情であろう。

もう一つ厄介なのが、スシローの件はバイトテロではないということか。
バイトテロであればスマートフォンの持ち込みを禁止し、アルバイトだけで業務を運用することはさせないようにすることで、ある程度は防止できる。
しかし、今回は非常識な客の異常行動になるため、店側としてはなかなか対処のしようはない。
言うなれば、発生した火事の火消しはできるが、火事を未然に防ぐことが難しい案件とも言える。

中高生を指導できない中高年

尤も、中高生によるSNSを使った不適切投稿については、中高年側が中高生を適切に指導出来ない問題もある。
SNSに慣れ親しんでいない、またはTwitterなどを基本的に「見る専」で使っている場合、ネットのトラブルに巻き込まれるという経験は持っていないだろう。
特にTwitterには陰湿な者が多く集まっているが、ネットで危ない人と関わることなく、大きなトラブルもなく生活してきた人にとって「こういう使い方をするとトラブルになる」と教えるのは難しいのかも知れない。

一度でもネットを通して大きなトラブルを経験したことのある人間にとっては、危険なネットの使い方を経験知として持っている。一方で、SNSに親しんでいなかったり、或いは見る専でやってきた人には、ブロンコビリー・バイトテロ事件なども伝聞知として持ってはいても、それを自分事として落とし込むのは難しいのである。

もっと言えば、今の中高生を中高年が適切に指導出来ていないということも、事件に至る要因としてなくはないのだ。
と言うのも、今の中高年が中高生だった時代、パケット定額と言うものは無かった。今のソフトバンクはJ-Phoneと言う名前であり、その時代のケータイ電話はネットに繋げば繋ぐだけ料金が請求される時代だ。

松本人志がCMをやっていたTukaなど「通話出来ればええやん」のサービスであったし、ファイナルファンタジー7にも登場した通信機器・PHSの事業を「ウィルコム」という会社が行っていた。今やTukaやウィルコムなど知っている若者はいないだろう。当然、Twitterなどというものも存在していなかった。
パソコン通信は以前からあったが、その時代のPCなど今のラップトップなどと違い、贅沢品の領域である。

未成年にスマートフォンを持たせるには早かった

「ウチの子がSNSで変な投稿をしないようにするためにはどうしたら良いでしょうか」

もしこうきからたら、出すべき答えはただ1つだ。

「お子さんにスマートフォンを持たせないことです」

最も単純で明快な方法はそれである。
アップルの創始者、スティーブ・ジョブズは自分の子供にiPadもiPhoneも触らせなかったことは知られている。
それはジョブズ自身がテクノロジーの恐ろしさを良く知っていたからである。
テクノロジーの恐ろしさを知っていたジョブズだからこそ、自分の子供にはスマートフォンもタブレットも持たせなかったということだ。

SNSの恐ろしさは承認欲求を肥大化させることにある。これは40歳を過ぎた大人でもSNSを使うことによる承認欲求の肥大化をコントロールするのが難しいのであるから、10代の多感な時期など猶更である。
残念ながらく、自分の倅のSNSを使った乱暴の未然防止には、スマートフォンを持たせないことが一番安全なのだ。
現代社会において、それが現実的でないと言われればそれまでであるが、しかしITの世界で成功しているスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが、子供に簡単にスマートフォンを触らせなかったことが、実はスマートフォンの恐ろしさをよく示している。

もし中高生にスマートフォンを持たせるなら、適切な使い方を中高生が示せねばならないが、残念ながら時代はまだそこまでには至っていないのである。

イーロン・マスクは昭和の日本人だったのか

少子化の問題は金から始まったものではない

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ジャーナリズム   2023/02/05   センチュリー・大橋
タグ:電話

未成年にSNSは早かった:世の中高年が思う以上に中高生は子供である⓵

SNSを使った飲食テロ松任海岸と車

写真:白山市のフリー写真素材より

人間の承認欲求とは恐ろしいものである。スシローで醤油さしや湯呑を舐め、元の位置に戻すなどをしていた様子をSNSに上げたことで、大騒動が起こるという事態となっていた。
ネットでは当の17歳の少年に対して「スシローのブランド力を損ねた」として大バッシングが起きているが、言ってしまうと従事者によるバイトテロとはやや異なり、いわゆる「迷惑客」の行為によるものであるから、スシローのブランドイメージはそこまで傷付くことはないだろう。
ブランドイメージという点においては、寧ろ店長が焼身自害をした、くら寿司こそブランドイメージを損ねそうなところであるが、それは世間からは全く相手にされなかった。

店長が憤慨の末、焼身を図っても、くら寿司は何食わぬ顔で「炙りチーズ」を勧め、当たり前のように客は回転寿司を楽しんでいた。
くら寿司がそんな調子なので、ましてバイトテロでもなく、一介の迷惑客の狂った行動など、スシローのブランドイメージという点に対しては、大してダメージを与えていないであろう。

中高生は中高年が思う以上に子供である

ネットでは17歳の少年に対する厳罰を求めるような声が大きいが、ある意味でネット民など所詮その程度とも言える。
もちろん少年の起こしたことは立派な営業妨害であるし、未成年であることを加味しても、何かしらのお裁きはあるかも知れないが、それは当事者のみぞ知るところである。

世間からは少年に対して大バッシングが寄せられるであろうが、しかし世の大人達は意識しておかねばならないことがある。
それは世の中高年が思う以上に、中高生は子供であるということだ。
まして日本の中高生は、欧州や米国のそれと比べても、ずっと子供かも知れない。
大抵の高校では生徒のアルバイトは禁止であるし、校則も「高校生らしく勉学と部活に打ち込んでいろ」と言う学校が多い。言ってしまえば過保護なのである。
その一方で、問題を起こした生徒は自主退職を薦めていく陰湿さも兼ね備えているものだが、そうした教育環境もあって、日本の中高生は中高年が思う以上には子供であるということだ。

尤も、ネット民は20代の頃にmixiやモバゲー、GREEの日記で黒歴史を作った経験がある者も少なくないのではないか。

子供がいる人間は決して他人事と思ってはいけない

スシロー動画の少年に怒れるネット民の中には勿論、既婚で子持ちな中高年もいよう。
しかし、それをたにん他人事と思ってはいけないいけないのである。少年の父親にとっても、自分の子供がまさか回転寿司で酔狂な真似をするとは考えなかったであろう。

思うにブロンコビリーの学生アルバイターによる不適切投稿から既に10年近くが経過している。
これは一言で言えば「10年間進歩していない」ということでもある。
この10年でネットに不適切投稿が投稿されたのは何もブロンコビリーだけではない。
すき家しかり、セブンイレブンしかり、くら寿司しかり、泰尚しかりで問題行動は繰り返されている(そして男児という共通点がある)。
高校生どころか大学生もいるのであるから、如何に世の大人が思う以上に10代の男児がお子様かと言うものだ。スシローの件はバイトテロとは異なるが、しかしこれだけ事件が繰り返され、損害倍書が起きようとも、みな「他人事」なのである。だからいつになってもブロンコビリーの教訓は活きないのだ。

イーロン・マスクは昭和の日本人だったのか

少子化の問題は金から始まったものではない

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ジャーナリズム   2023/02/04   センチュリー・大橋
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