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「そりゃ支持されるわ」:400年も昔に民主政治を目指した男たち❶

先日久しぶりに小田原城まで足を運び、後北条氏の面影を偲んでいた。
北条早雲公。戦国時代のパイオニアとして知られる彼は、一方で極めて善政をしいた君主として、当時は領民から強く支持されていた。小田原から帰った後も彼について調べてみると、それは近代日本にも勝るとも劣らない、民主的な国家を作ろうとしているように感じられるものであった。
今回は今の日本人に必要な400年前の北条五代の精神にスポットを当ててみたい。
 

後北条氏の敷いた政策

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北条早雲をはじめとする後北条氏は、きわめて領民の支持が厚い君主であった。
その支持される秘訣は租税が安かったことと、社会保障の充実をしていったことである。租税も早雲の代で安くなったことが領民から喜ばれた。
飢饉や不作の年の税の減免制度まで整っただけでなく、氏康の代には国の蓄えを支給して民を救うという、社会保障施策までやっていたということである。
立法に当たっては徳川吉宗に先駆けて目安箱を設けるなど、領民の声を聴くということに注力を注いでいた。

税制改革によって領民の可処分所得を増やしつつ再分配をする

徳川家康が後に関東を支配することになった時、後北条氏の治めていた地域はかつての君主を慕う領民が多く、やり辛かったのだそうだ。
家康としても自国内で暴動が起きても困るので、領民統治に当たっては部分的に踏襲していかなければならないことになる。
その根本たる制度はやはり税制であろう。
例えばイメージしてみて欲しい。
「財政再建のために消費税15%にします(と言いつつ法人税は減税)」という政治家と「無いところからはとりません。代わりにお金持ちから税金を取ってない人に還元します」という政治家、どちらに投票したいだろうか。今の日本は国民の手で政治家を選べるのだから、後者に投票したくなるのではないか?
まして当時の農民は君主(政治家)を選べなかったのである。だから自分達のためにならない領主から生活を守るために一揆(暴動)を起こして何とか自分達の意見を聞いて欲しいと願ったのだ。

北条早雲のこれまでの領主との違いは、まず税金を下げることから始まった。
それまでの農民は君主に対してなんら期待などしてなかったのである。
「どうせ誰が領主になったって同じだよ・・・」そんな諦めの中で「大変だ、新しい領主が税金下げるってよ!」と来たので、当時も大変話題になった。
それまでの農民の税率は50~60%が概ね相場だったのだ。
これに対し、早雲は40%に下がっている(四公六民)。更に税制の中で少しずつ中間搾取を防ぐ仕組みを作り始めており、多くとられすぎている場合には直接早雲に直訴できる要素を作っていたわけだ。
町人に自由な商業を認めて銭による税収も確保したが、こうした善政によって後北条氏五代の間、領国内での一揆(暴動)が起きなかったというのだから、極めて優れた政治家であったと言えよう。

後からやってきた家康にとって、後北条氏の善政は完全に自分の常識外であったであろう。
そもそも自分が思っている制度より先取りした税制をやっていたわけである。戦国時代で毎日闘争に明け暮れていた時代にも関わらず、封建制のこの時代に社会保障の概念が生まれ始めていたことは特筆すべき事態と言えよう。
まだ経済学というものも殆どないこの時代に、税と再分配の考え方が小さく起こり始めていたことが、後北条氏が先見性に優れた一族であるとも言える。

もし北条五代が平成時代に内閣を運営していたら、日本はデフレから脱却できていたであろうことが容易に想像できる。

  2019/08/13   センチュリー・大橋
タグ:税制 , 民主主義
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