横浜センチュリー

📰Side Beach Journal
下層ページタイトル背景

新着情報詳細

このエントリーをはてなブックマークに追加

川崎南武物語-台風19号の爪痕を歩く❶

川崎市幸区の多摩川河川敷

令和元年の台風19号は記録的な雨に見舞われる災害となった。房総半島の被害は取り立てて大きく、千葉が元々の地形として島であったこと、かつ政府の対応も遅かったことで、住民は心身ともに削られることとなった。
一方、川崎は川崎らしい荒れ方を見せ、武蔵小杉のタワマンは狂気の厠、南武線のラッシュで腹を下して散布する者あり、流石はカワサキであると言わざるを得ない荒れっぷりであった。
その荒れようは勤務先の川崎のとある工場でも大きな話題となり、食事中に話題にしないよう堪えるのは大変だったものである。

かつてのオアシスは今…

臭気や瘴気にまみれた南武線だが、それでも多摩川河川敷はオアシスであった。多摩川の水は普段はなかかな澄んだもので、撮る角度によっては漫画の世界のように青い。

台風19号の前にも15号という、これまた強い台風はあったものの、15号は多摩川河川敷の姿を様変わりさせるほどまでにはならなかった。すぐに元通りの多摩川に戻ってくれたものである。しかし、19号の影響力はすさまじいものがあった。

川崎リバーサイドパークはバンカーだった場所が池になっており、落とせばそのまま1ペナルティーが発生する状態だ。大田区側はサイクリングロードが泥で埋まってしまい、その泥が「道だ」と勘違いした私は泥に深く足を突っ込む羽目になる。
持っていかれる靴、汚れるシャツとズボンはもう見るに堪えない醜態ぶり。そんな私を見ていた自転車乗りの青年はあまりの泥の凄まじさに立ちすくみ、そして私にこう聞いた。

「こ、これどうやって帰ったら良いんですか?」
「私に聞かれても(苦笑)」

思わず「いやいや、君、私の惨状を見てたでしょ(笑)」と思いつつ、再び川崎リバーサイドバークに戻ってズボンを水で洗ってその時は帰ったが、二週間程度では泥は殆ど乾かなかったということである。
台風19号はそれまでのカワサキの地形を変えてしまった。南武線沿いの貴重なオアシスも、堆積した泥が見事に景色を変えてしまったのだ。

  2020/01/06   センチュリー・大橋
タグ:環境問題
PAGE TOP