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生活に関わる政治関連の記事を配信していきます。

れいわ新選組の勢力拡大に必要なものは草の根れいわ新選塾である❶

れいわ新選組が早くも成果を出したようだ。
政策面での目に見える成果こそまだまだであるが、障碍者を2人当選させたというところから、早くも世の中で動きがある。
国会もバリアフリー化に向けて動かざるを得なくなったし、世間も少しずつ障碍者に対する感情が変化していくだろう。
これまでの野党勢力に出来なかったタブーに突っ込み、そこで大きな話題を起こしていくことによって、れいわ新選組の知名度は今後も上がっていくだろう。
2019年の参院選では恐らく既存野党の支持者が主な得票源であったと思われるが、今後やりかた次第によって、れいわ新選組は無党派の票を取っていける可能性もある。
でははたして、れいわ新選組が勢力を伸ばすためには何が必要であろうか。
ここで提案するのが草の根れいわ新選塾である。

松下政経塾や創価学会に対抗できるボトムアップ組織が必要

今日の日本の政治界で強い影響力を持っている三つのグループがある。

❶経団連
❷創価学会
❸松下政経塾

の三つである。
日本会議を入れたいところであるが、籠池泰典曰く「烏合の衆ですよ」とのことであるので、いったん日本会議は置いておくことにする。
それにしても経団連(圧力団体)に公明党(創価学会)は実に大きな影響を与えているとともに、松下政経塾の存在も見逃せない。
松下幸之助自体はかなりネオリベラル的な思考を持っていたと考えられるのだが、本人逝去後、その思想というのは新保守主義的なものにシフトしていったと思われる。とりわけ、松下政経塾に入塾できるのは、ほぼエリートに限られると言って良いだろう。
エリートしか入れないがために民の気持ちはわからない。わからないのに何故か当選をしてしまうという、ある種の悪い現象が起きている。

松下政経塾はそれ単体でも直接的な影響力を持つが、一方で対抗するかのように政経塾を作らせる効果をももたらした。あいちトリエンナーレで騒ぎとなった大村愛知県知事もまた、政経塾を作っている。
大村県知事はもともと自民党にいた人であるが、やはり右派系政党が政経塾をよく立てているように見える。これには対抗組織が必要と言って良いだろう。

と同時に、新たな政経塾を作るには、極力トップダウンにならないことが肝心だ。それは大々的にお金を出しての政経塾を立てるというより、草の根で集まっての小さな政経教室というものを目指した方が良いだろう。

言うなれば、各市区町村の公民館で団体登録を出来る人数を集め、小さく地域に溶け込んでいく。これが出来ることで、れいわ新選組の支持の輪が広がっていくであろう。
各地にいる支持者がSNSなどを通して繋がりを持ち、現実世界でも活動し、時に先の参院選で立候補したメンバーが講演に来るというような体制が出来れば、なお良いのかも知れない。勿論れいわ新選組に限らず、既存野党もやる気があるなら早めにやった方が良いものである。

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れいわ新選組   2019/08/14   センチュリー・大橋

「そりゃ支持されるわ」:400年も昔に民主政治を目指した男たち❷

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後北条氏の善政は主に税制改革が筆頭に来るが、実は後北条氏には見逃せない、もう一つの改革がある。
それが領民主権の考え方だ。
いや、実際の統治としては武士が直接統治をしていたことは確かである。あくまで時代としては封建制なので、建前上主権を持っているのは君主であることは疑いようもない。
ただし、後北条氏に至っては、早雲の時代から既に、民主主義的な気質が芽生えていたことが大きく進んでいた。その民主主義的な気質は北条五代の中で、代を経るごとに強くなっているのだ。

小さく始まった国民主権の考え

小さな頃に読んだ『学習まんが物語:北条早雲/毛利元就』のあとがきで読んだ内容だが、早雲はこれから攻めようという土地に侵入して、現地住民に「どんな領主が来て欲しい?」みたいなことをヒアリングしていたという。今風に言えばマーケティングをしていた早雲であるが、これは同時に早雲の中で『領民主権/民主主義』的な概念を持っていたということでもある。伊豆攻略時も病気に掛かっていた住民や老人は置き去りにされたが、そんな置き去りにされた者たちに薬を持って看護させるなど、早雲の時点で既に社会保障の概念が芽生え始めていたことも注目すべきポイントだ。

後北条氏の政治理念は虎の印章に掛かれた「祿壽應穩」に込められている。
これは「禄(財産)と寿(生命)は応(まさ)に穏やかなるべし、領民全ての禄を寿を北条氏が守っていく」という理念で、更に氏綱遺訓には今日の日本国憲法25条に通ずるような、基本的人権に近い思想が込められている。

侍中より地下人、百姓等に至迄、何も不便に可被存候。惣別、人に捨りたる者はこれなく候。器量、骨格、弁舌、才覚人にすくれて、然も又、道に達し、あつはれ能侍と見る処、思ひの外、武勇無調法之者あり。又、何事も不案内にて、人のゆるしたるうつけ者に、於武道者剛強の働する者、必ある事也。たとひ片輪なる者なり共、用ひ様にて重宝になる事多けれは、其外は、すたりたる者は一人もあるましき也。その者の役に立処を召遣、役にたゝさるうつけ者よと、見かきりはて候事は、大将の心には浅ましくせはき心なり。

これは人の使い方に関する言葉で、要約すると「人材を活かせないのは大将の責任だよ。一見役に立たなそうな人でも見限るのは浅ましいことだね。」というものなのだが、前半部分に書いてあることとして「侍から身分の低い人、農民の誰もが生活に不便を感じるようにしてはいけないよ。人に捨てる者はいないし、障碍者でも使い方によっては重宝するから大切にしないと駄目だよ」ということが説かれている。
これは日本国憲法の基本的人権にも通ずる考え方と言えるだろう。では現行憲法25条の条文を見てみよう。

第二十五条

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
日本国憲法では『健康で文化的な最低限度』の生活をする権利を保証している。不便で最低限度の生活とは異なるものであるということを認識しておいた方が良い。氏綱の遺訓でも「誰もが不便な生活をしないようにしなければいけない」と言っているのであるから、この封建制時代に民主的で近代的な憲法に近しい考え方を後北条氏が持っていたことは興味深いと言えるだろう。

時代を先取りしすぎた社会民主主義

小田原評定は大切なことを決められない揶揄として使われることわざのようだが、元を見れば今日の県議会議員のような役職を立て、議論によって政策を決めるという議会政治の先駆けと呼べるようなものである。つまり滅亡に当たってのプロセスが民主的に決められたというのが小田原評定の本質だということだ。
こうして後北条氏を見ていくと、彼らの目指した究極のゴール地点は社会民主主義的なものになってくる。
社会民主主義というのは政策の決定を民主的なプロセスを決め、大きな政府を維持して格差を無くしていくための政治思想である。
2019年現在はアメリカのバーニー・サンダースが一定の勢力を持っているが、それは400年以上も前に小田原で、後北条氏が先駆け的なものを作っていた。
それはまるで時代を先取りしすぎた社民主義とも言える。
後からやってきた家康にとって、これはさぞやり辛いことだったであろう。彼にとって北条五代の支持率が高かったからだ。
果たして後北条氏が今の日本の姿を見たら、どう思うのか。
この激動の時代、時間のある人には小田原に足を運んで欲しいものである。
400年前の小田原で民衆のための政治を行おうとした武将がいることに思いを馳せていただき、日本人自身の手で主権が放棄され、暗黒の時代に戻らないことを切に祈るばかりである。

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  2019/08/13   センチュリー・大橋
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