横浜センチュリー

📰Side Beach Journal
  • トップページ
  • 「辞めれば良いのに辞めれない」のは仕組みの問題でもある⓵
下層ページタイトル背景

新着情報詳細

このエントリーをはてなブックマークに追加

「辞めれば良いのに辞めれない」のは仕組みの問題でもある⓵

経験年数に3年・5年・10年の法則はある

どんな会社に入っても合うか合わないかは働いてみないと分からない。
同じ職種内の転職であっても商材が変われば仕事のスタイルは大きく変わるし、前職までのやり方が全く通用しないこともある。
正にその職場が合うか合わないかは働いてみてのお楽しみであり、働いて一定期間するとようやく「合わなかった」が分かるものである。

もちろん合う合わないの判断をするのは、新卒か否かや現在の年齢によって、早いか遅いかは「まだちょっと早いんじゃないの?」と言いたくなるものはある。
だいたい転職にあたって経験年数は3年、5年、10年が1つのフレームワークとなっており、だいたい1つの仕事で最低3年は続けた方が良いことは多い。
ただし、これには勿論例外は存在する。
極論だが会社が倒産してしまえば経験年数3年未満で退職というのも有り得るし、精神を病んで身体愁訴を訴えだしたら辞めるべきサインである。
もちろん休職して復帰後に別部署に異動するのも手であるが、新卒総合職と異なり、転職組は職種と配属の固定性が高くなるため、休職を明けても同じ部署になってしまうことが多い。
結果、再び症状は悪化して退職に追い込まれることになってしまう。

辞めれずに追い詰められる人達

適応障害や身体愁訴が起こる場合、必要なことは速やかな休職、そして転職活動だ。
大企業ならいざ知らず、中小企業ではあまり人事の異動も起きないため、休職明けも同じ部署に配属されることは多い。
休職から明けたところでストレッサーは変わらないのであるから、結局のところ会社を辞めることが最善となる。

ところが、最悪のケースでは会社を辞めるどころか人生を辞めてしまうことは多い。
特に40~50代が病めて人生を辞めてしまう危険ゾーンで、日経新聞の記事からも明らかとなっている。
この年齢帯は管理職に就いているボリュームゾーンであり、仮に会社を辞めるとしても引継ぎには時間が掛かるため、簡単には辞められない状態にある。
尤も管理職と言っても裁量の大きいエグゼクティブとは異なり、中間管理職の多くは定時が存在するし、裁量もそこまで大きくないのに残業代が出ないという、奇異な立場におかれている。
これもまた、精神的に追い詰められる要因となるだろう。

当たり前に行われるサービス残業:違法なのに断れない

全ての企業というわけではないが、サービス残業も横行しており、特に正社員で多く見られる。
新国立競技場を巡る工事で若くして亡くなった現場監督がいたが、その残業時間が200時間を超えており、しかも会社が把握していなかったというのだから、サービス残業が常態化していたことは想像に難くない。

建設業の人手不足とは言うが、無駄に仕事を増やして過労で亡くなる人間が出てくるのだから、それは志望する人が少ないのは当然である(そもそも今の日本は建設過剰である)
これはIT業界でも顕著で、コロナ禍によって在宅勤務が拡大したことが良いことのように見えるが、実は持ち帰り残業も増えている。
こうした持ち帰り残業が無法状態で行われており、これもまた立派なサービス残業である。

サービス残業は違法であるということはわかっているのに何故なくならないのか。
そのキーワードの1つが「共同体」と言えよう。

林千勝はデービッド・アトキンソンに対する批判の中で次のようなことを言っていた。

彼らグローバリストと我々の何が違うかというと
「共同体」だと思う。
つまり、私の喜びはあなたの喜びであり、私の苦しみはあなたの苦しみだし、あなたの苦しみは私の苦しみですという共同体が昔の日本にはあったと。
今もあるけれど昔はもっと強固だったわけ。
家も地域、村落も、会社もそうだった。国もそうだったわけです。陛下の元でね。
それをグローバリズムは、全部バラバラに壊そうとしているわけ。壊した形で儲けようとしている。
我々守らないといけないのはその「共同体」ですよ。

「私の喜びはあなたの喜び、私の苦しみはあなたの苦しみ」
これは「みんなまだ仕事してるのに…」というサービス残業を生み出す「共同体」の考え方に近い。
法治国家というのは契約社会であるが、日本では契約より空気が優先される、正に空治国家なのだ。
そして空気を読むのに疲れた人から病んでいくのである。

少子化はカネの問題から先に始まったのではない

炎上した「底辺職業ランキング」記事:では自分は就きたいと思うのか
職業選択   2023/06/12   センチュリー・大橋
PAGE TOP