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「誰しもが魔王になり得る」今の東京が正にそんな状態になりつつある<2>

必要なのは同情ではなく仕組みだ

「なんで小田急通り魔事件は起きたのか」
もし人からこんな質問されたなら「それだけの仕組みが東京にあるから」としか答えられない。
「いくら辛い環境に育ったからと言って誰しもが通り魔やるわけじゃないだろ」と言われれば、それは正しい。その通りである。
だが、それこそ「どうにも手に負えない5%の人間」とて、必ずしも通り魔をやるわけではない。
通り魔をやったこと自体は許されざることであるし、どれだけ犯人の境遇が不遇であったとしても、同情する必要はない。
尤も裁判でも「情状酌量の余地なし」となるであろうし、して「被害者の気持ちを考えること」も、これから裁判員になるであろう人達の仕事である。
外野にいる我々の考えるべきことは「被害者に寄り添う」のではなく、同じ事件が発生しないようにするための「仕組みを作る」ことであろう。
そもそも「被害者や遺族の気持ち」は被害者や遺族にしかわからないのであって、それを汲むのは裁判員、検事、裁判官の仕事だ。
今の東京には凶悪犯罪を発生させうるだけの仕組みが出来上がっているのであって、根本となる仕組みを変えなければ事件の再発は防げない。
Amazonのジェフ・ベゾスの口癖と言われていた言葉に「Good intention doesn’t work, only mechanism works!(善意は働かない。働くのは仕組みだ)」というものがある。これは全く以て正しい。
少なくとも日本の構造は97年から大きくは変わっていない。
仕組みが97年から大して進歩していない…いや、寧ろ崩壊が進んでいるのだから、凶悪犯罪を抑えられないのもまた当然なのだ。

資本主義とは優生主義であるものだ

この記事を書いている最中にメンタリストDaigoが「ホームレスの命はどうでもいい」と発言して総スカンを喰らっている。
「生産性で命の価値をはかる優生思想に直結する発言だ」と、植松聖と同じような思考回路であると批判を受けているわけである。
尤も「資本主義とはそういうもの」である。
資本主義は功利主義にして優生主義だ。市場原理・競争原理は常に優生主義によって動いている
嘘だと思うなら婚活市場を見てみればよい。

婚活市場は男性は女性に若さや容姿の良さを求め、一方、女性は男性に年収と平均以上の容姿を求めている。
男性なら20代の女性を求め、女性なら年収500万円以上を男性に求める。これが「市場のニーズ」であるが、この発想は正しく「人の価値は生産性である」ということを暗に示しており、人の価値は生産性であると言うことを植松聖的感性と言うなれば、婚活市場に参加する誰しもが心に小さな植松聖を抱えていると言って良い。

だが、資本主義…ひいては市場原理主義とは「そういうもの」なのだ。
市場原理主義社会に平等思想は相いれない。市場原理主義は常に優生主義であり、優れた生産性(年収/容姿/人脈等)を出せる人間だけが結果を得ることを許される。そして「希望にそぐわぬ者などどうでも良い」というのは、婚活市場でも良く見られる事象だろう。

さて、對馬悠介は植松聖と同類と言えるのかということ、ここもやはり異なっている。
植松聖は「生産性無きものを裁く」という立場に身を置いた人物であるが、對馬悠介は「生産性無きものとして裁かれた」という立場に身を置かされた人物である。
植松聖と對馬悠介。
「起こした結果」は似たようなものに見えども「そこに至る道筋」は異なっている。どちらかと言えば加藤智大に近く、言わば市場原理主義とそれに伴う優生主義の中で溜め込まれたコンプレックスが暴走したものと言えそうだ。

再発防止をするなら「社会的な仕組み」を変えるしかない

少なくとも今の東京には、コンプレックスを溜め込んだ者が凶行に至るようになる仕組みが整っている。

對馬容疑者についての話題をする時、こんな返答を貰ったことがある。
「日本人は韓国の事を民度が低いというけど、最近の事件見てると日本の民度も韓国の悪口は言えないと思う。今までの日本人が経済的に豊だったから気持ちにも余裕があっただけです」
そもそも日本は社会主義の国であった表向きは資本主義でも実質は「世界一成功した社会主義国家」だったのである。
本当の意味で日本の資本主義化が進んだのは中曽根改革以降であろうが、資本主義、並びに市場原理主義が浸透すればするほど格差は生まれ、優生主義が染み付く土壌が作られることになる。

「誰しもが魔王になり得る」

LIVE A LIVEでオルステッドが最期に残したこの言葉、いま正に東京で起きていることである。
この負の連鎖を断ち切るには、断ち切るための仕組みが必要だ。
LIVEを反転させるとEVILになる。
ではEVILを生まないようにするためには何をすれば良いのか。
今の政治に無いのはグランドデザインだ。
全ては仕組みが決める。仕組みこそが正義であり、サステナブルな社会を創る仕組みの設計こそ、今の政党が最優先で行わなければならぬ取り組みではなかろうか。

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