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「誰しもが魔王になり得る」今の東京が正にそんな状態になりつつある<1>

LIVEは反転してEVILになる

ひぐらしのなく頃に業。
北条沙都子が高校生になり、古手梨花との確執が生まれ、四面楚歌状態に陥ったことを機に、沙都子は梨花への報復行動を取るようになる。それが令和版ひぐらしの惨劇の発端であり、このアニメを見ている間にふと思い出した言葉がある。

ひぐらしのなく頃に業:古手梨花に報復を決意する北条沙都子ひぐらしのなく頃に業:古手梨花に報復を決意する北条沙都子

「誰しもが魔王になり得る」

LIVE A LIVEにおいて魔王となった主人公、オルステッドの最期の一言がこの言葉である。
ゲームタイトルのLIVE A LIVEは2番目のLIVEが反転しており、右から読みで「EVIL」になるのだが、ひぐらしのなく頃に卒は正に、かつて仲間であった北条沙都子が反転して「EVIL」になった視点で描かれている。

そんなことを考えていた矢先の小田急車内通り魔事件であるが、せっかく中央大学に入ったにも関わらず、その後の人生が不安定になった對馬悠介容疑者。
かつての秋葉原事件や川崎登戸事件を振り返るに、1994年に生まれたゲームながら「誰しもが魔王になり得る」という言葉が現実に起きている。

キレる17歳世代の闇は深いのか

実のところ私は對馬悠介容疑者とだいぶ歳は近かったりしている。母子家庭というところまでは育った境遇まで同じである。
振り返ると私の少年時代は少年Aに始まり、西鉄バスジャック事件が起きたあの時代は「キレる17歳」などと言われ、高校生犯罪が相次いだ時代であった。
実は秋葉原事件の加藤智大まで歳は近いし、世代的に見ると對馬悠介容疑者もまた、殆どこの年代である。
各々がLIVE A LIVEをプレイしたことのある者かどうかはわかりかねるが、これほど歳が近いのも恐ろしいものである。
私自身も母子家庭で歪な少年時代を過ごしたから、どことなく彼らの心境もわからないではないが、しかしこれほど自分と歳の近い男子が凶行に手を染めるというあたり、我々の年代が抱えている構造的な問題でもあるのではないかと疑いたくなってくる。

異常性は育った環境と置かれる現状によって身に付くものである

ネットでは對馬悠介容疑者に対し、極刑を望む声がよく見られる。
それを望むことは否定しないが、果たして重罰は極限に狂った人間に効果があるのかということはよくよく検討せねばなるまい。
そもそも近代においてさえ重い刑罰を公開で執行することは娯楽として用いられたもんである。為政者にとっては自分達への不満を逸らすため、刑罰執行の公開は都合の良いものであり、民衆にとっては娯楽であった。人間の本質など時代変われど、そうそう変わるものではない。
Twitterで政治アカウントが日夜喧嘩に明け暮れるのも、己が信ずる「正義の執行」とやらに娯楽性を感じて喧嘩に明け暮れているという一面もあり、実は政治アカウントは「政治の話に見えて宗教の話をしている」というのは以前も指摘した通りだ。

恐らく小田急通り魔事件も秋葉原事件も、一人の異常者による異常行動であり、個人の資質の問題と考える人が多いであろう。
だが、そもそも生まれついての異常者など殆どいない。
『世界一シビアな「社長力」養成講座(ダン・S・ケネディ:著)』ではこのようなことが述べられている。

・決して嘘をつかず盗みを働かない人間は5%しかいない
・同様に手に負えない性質を持った人間も5%しかいない

これは90%の人間は状況によって嘘もつくし、盗みも働く普通の人ということだ。
アメリカの中小企業は普通に働く従業員が香ばしいことをする面白い輩がたくさんいるようだが、少なくとも生まれついての善人も根っからの悪人も5%ずつしかいないのである。
即ち90%の人間は育った環境、いま置かれている境遇によって人格や思考が形成されると言って良い。

もしアニメが好きな人は、是非ひぐらしのなく頃にをご覧になってみると良い。
北条沙都子の異常な行動は先天的な性質によって起こされたものではなく、壮絶な生い立ち、高校生活で置かれた境遇、たまたま出遭った悪しき人脈によって惨劇が引き起こされる「前提」が作られたのだ。

こういうと「なら對馬は手に負えない性質を持った5%の人間なんだろ」という意見もあるかもしれない。
しかし、私は「誰しもが魔王になり得る」というオルステッドの言葉を振り返るに、普通の「90%の人間さえ凶悪犯罪を起こし得る」と考えねばならないと見ている。
「個人の資質の問題だ!」
こう言い切れれば確かにそこで話は終了できる。だが、根本は解決しないと言って良い。同じことはまた起こるのだ。
根本的な解決策、それは仕組みを変えるしかない。ただ刑を重くすれば良いという問題ではなく、社会構造を変革していかなければならないのである。

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