任期1年に満たず退陣 
写真:白山市のフリー写真素材より
先の参院選の結果を受けて引責辞任をすることとなった石破首相であるが、石破首相が語ったとされる「俺はこの国が『右』に席巻されるのが嫌だ。この国は左に行って潰れたことはないが、右に行って潰れた歴史がある。何があっても繰り返してはいけない」と言う発言に対しては、歴史を紐解けば事実である。
石破氏自身は防衛に関してはタカ派であるが、国会における議論に於いては原稿を見ず、自ら言葉を紡げるだけの教養があり、話ができる総理であった。
自民党と共産党は敵対しているが、共産党の言うことでも尤もだと考えることについては肯定できる度量があり、共産党の人間からすら認められるだけの知識がある。
また、中速新幹線にも意欲を示し、老朽化インフラの再整備を計るなど、国土強靭化に於いても重要な人物であったことは間違いない。
しかし、ポピュリズム政党の勢いに負け、退陣を余儀なくされることとなった。
反共と言うより反資が正しい
自民党政権は左からではなく、右から倒されるかもしれない。
2025年の参院選は、それを想定させるのに十分な結果であった。
小池都知事でさえ「競い合って排他主義は非常に危険」との認識を示すほど異常な事態となり、参政党のみならず、保守党も勢力を伸ばすこととなった。
躍進した政党は政治的には右派であるが、経済的にはほぼ左派である。
X(旧Twitter)を見れば「反共を唱えているが実態は反資本主義」と言う者は少なくない。
取り分け「弱者男性」と呼ばれる者は市場社会の敗れもの達である。
自らが資本主義の中で「弱者のポジション」に置かれたのであるから、資本主義には納得しようはずもない。
だからとて、自らが「弱者として手を差し伸べられたくない」と言うのも、多くの「弱者男性」が抱える屈折した感情ではなかったか。
そんな弱者男性に対する救いが「国債を財源とした積極財政論」であり、人種主義、純血主義のそれと合わさった国家社会主義的なものへと進化した。
歴史を紐解けば似たような時代はある。
1930年代初頭のドイツがその典型である。
少なくとも1930年代のドイツは反資本主義と排外主義が同居していた。
現在のポピュリスト達も概ねここに近く、反資本主義と排外主義が同居しているのである。
インフルエンサーに感情を支配される令和
そもそも何故ここまでポピュリズムが隆盛を極めたのかと言えば、それは「わかりやすいインフルエンサー」の存在である。
一般的な大衆にとって、問題と解決法は「わかりやすい」に越したことはなく、複雑な問題を単純化させ、わかり易く説明してくれる存在はありがたいものである。
それが三橋貴明氏のような「インフルエンサー」の存在だ。
複雑な問題が単純化され、わかりやすく伝えてもらう事で感銘を受け、ネットで拡散されて行く。
ただし「分かり易いこと」と「正しいこと」はイコールではない。
例えば財政一つを取っても、歴史を紐解けばメフォ手形や軍票のように紙屑になったものも存在する。
もとより、昨今のネットインフルエンサー達の唱える財政論は中央銀行の独立性を否定することで成り立つが、残念ながらそんなことはインフルエンサーの力で目覚めた大衆に唱えても無意味である。
インフルエンサーの力で目覚めた物達は、歴史や統計、論理といったものは重視しない。
重視するのは、ただ己が感情のみである。
