少子化の問題は金から始まったものではない⇨だからこそ根深い②
少子化問題に対する勘違い
写真:白山市のフリー写真素材より
少子化対策に関し、一般的な国民の考えでは「子供に投資しないから少子化が進んでいく」と考えるであろう。
育児には金が必要であり、子供に対する投資が将来の国を支えることになることは確かである。
少子化対策という点に対し、これまでの自民党がやってきたのは精神的報酬を与えることのみであった。岸田内閣の「異次元の少子化対策」が何を行うつもりかはわからないが、少なくとも「金を出さないから少子化が進むんだ」という言い分には、ある程度応えていく内容を盛り込むであろう。
しかし、明石市の泉市長、ハンガリーのオルバーン首相のバラマキ政策を以てしても、出生率2.0は遠く険しい道のりであることを示している。
ではなぜ大規模な投資を行っても出生率が伸びないのか。
それは「金を出せば何とかなる」ということが大きな勘違いだからである。
これは恐らく「どれだけ報酬を出したとしても」出生率向上に与える影響は微々たるものにしかならない。
例え「3人目を産めばマイホームもタダ!!」と言った施策やってすら、やはり微々たる影響しか与えないのだ。
「金さえ出せば何とかなる」
それは少子化が金の問題からスタートしたのであれば、正しい答えである。
金の問題から始まったのであれば、金の問題を解決すれば少子化は解決する。
しかし、ことはそう甘いものではない。何故なら少子化の問題は金の問題から始まったものではないからだ。金の問題は「後からついてきたもの」に過ぎない。
それは多産国家が発展途上国に多いこと、日本の多産時代は貧しい時代であったことが示している。
個人選択の自由化
日本の多産時代に目を向けてみても、少子化問題における金の問題は後からついてきたものであることがわかる。
そもそも第一次ベビーブームは第二次世界大戦終了後、東京が焼け野原からリスタートしている1947年〜1949年に起こったものだ。
この時代の日本は政府が財政破綻をしており、今で言うならiPhone1台1000万円、ヴィッツ1台1億円と言った時代である。人々はどうしようもないほど貧乏していたのだ。
社会保障などと言うものも当然ない。当時は大日本帝国憲法下にあり、個人の自由などと言うものも殆ど無かった時代である。
公助など殆どない時代であったから、当時は自助と共助でやっていくしか無かったのだ。
日本の社会保障制度が現在のような姿に整ったのは1960年に入ってからのことだ。
おりしも、朝鮮戦争特需を通して高度経済成長に進んでいく最中にあり、経済的に豊かになってきたところから出生数が下がってきているのである。
20世紀後期において、経済的に成功してきた国というのは、個人の人生の選択という面においても、概ねリベラル化してきていると言って良い。
個人の人生選択の自由度が増えた代わりに核家族化も進み、共助というものが少しずつ崩れていった時代でもある。
子供は18歳まで役割を持たない贅沢品になる
「自由がなかった時代」と「自由を得た時代」とでは、子供の役割も変化している。と言うより、貧しい国、時代では、子供にも「何かしらの役割」が求められていた。例え子供と言えども「子供なりに果たすべき役割」があったのである。
しかし、国民が金を持つようになり、核家族化が進むにおいて、子供の役割にも変化が起きた。
貧しい時代の子供は言わば労働力として。豊かになった時代においては親の承認欲求を満たす役割に変化してきている。
最近の子供は習い事を2つ3つやっていることは少なくなく、都市部においては大抵の子供は大学までは行く。倅がどの大学に行ったかと言うのが、ママ友との間で一つの自慢のネタにもなったりするのであるが、子供がマトモに社会で役割を担うようになるには最低でも18年掛かるようになってしまった。
核家族化も進んでしまったため、親としては子育てしても見返り(老後の介護など)が期待できる見込みもない。
こうした「変化の後に金の問題がついてきた」のである。
だからこそ根深い。
泉市長もオルバーン首相も出生による増加を図るためのバラマキを行っているが、出生率2.0に到達することなく頭打ちになるであろう。
単純に出生率が下がるだけの問題ではない。未婚化が進んでいるのであるから、人口維持するために1カップルあたりが産まなければならない子供は3人はいないと厳しいところである。
究極的には「結婚しない自由」や「子供を産まない自由」を剥奪する以外に、自国民の出生のみで人口を増やすことは不可能であるが、言ってしまえばコレは極右的な発想だ(実際問題として極右の目指す世の中はそうなるであろう)。
世の中とはえてして極端から極端へ移っていくものだが、我々の世代が自由を謳歌した分、次の世代は苦痛を味わうことになるのかもしれない。