マトモな人が続かない
これは裾野市の保育士と工場労働の賃金を比較したものだ。
見ての通りほ保育士の賃金は工場勤務と比べてもだいぶ安い。なんと言っても工場内のシール貼りより賃金が安いのだ。
一方、仕事のハードさの面ではどうだろうか。
保育士は1人あたりMax6人の子供の面倒を見なければならない。これがかなりの負担となっており、現場は疲弊している。加えて日本の福祉制度は社会主義的な思想を踏襲しており、民間の保育園とて報酬を言い値(青天井)というわけには行かないのである。
もし保育や介護の世界に自由主義的発想を持ち込んだ場合、アメリカの医療さながらの青天井の価格設定ができるであろう。即ちお金の無い人は保育や介護のサービスを受けることはできないという考え方になる。
しかし、社会主義の思想を踏襲しているがために、誰しもがそれなりの金額を払えば保育や介護のサービスを受けられる設計なのだ。
これが民間の保育事業者にとって足枷となり、保育士の給料は上がらない。工場労働以下の賃金となっている。
ハードコアな働き方を求められる割に賃金は少ない。そうなるとマトモな人間は辞めていくのである。
残る人間も精神的に厳しい状況に置かれ、恐らく保育士となった当初の志は腐り、心身共に廃れていくのである。
本当の問題は「仕組み」にあり
裾野市の保育士による児童虐待など、もともと抱えていた歪が表面化しただけに過ぎない。
「3人の悪を処断すれば良い」という単純な話ではなく、日本の保育を巡る環境には社会・制度設計上に多くの問題があると言わざるを得ない。
建物を建てる時には設計と施工があるが、建物で言うなれば設計に問題がある。
もっと言えば施工にも問題があり、今の保育士は保護者対応などでやるべき仕事が増えている。
情報セキュリティの用語で不正のトライアングルと言う言葉がある。
さぶれSMBCソースコード流出事件で露わになったが、不正が起こる背景には「動機」があり、実行できる「機会」があり、そうしなければならない理由で「正当化」するというものである。
保育の世界でこれがどこまで当てはまるかはわかりかねるが、例えば動機として「虐待する児童の保護者との確執」があり、それを実行できるだけの「機会」があれば、当然に虐待は起こり得る。正当化するのは厳しいであろうが…。
そして、昨今の児童虐待をする保育士の話など、現在の仕組みが破綻していることの表れでしかないのだ。
保育士に然るべき報酬を与える制度を整えよ
共働き世帯が多くなった現在、保育士がいることは、両親が安心して外に働きに行けるということに繋がる。また、待機児童の問題が取り沙汰されるように、保育園が不足し、或いは保育士が確保できない状態になると、世の親達は安心して外に働きに出れなくなるということである。
少なくとも今の保育士の抱える負担から見ると、彼らが貰うべき賃金は今の3倍は必要であろう。
「人の世話をする」と同時に「命を預かる」という共通点のある看護師は、人気の職業とまでは言えずとも、それなりに年収があることから不人気な仕事とまでは言えないのではないか。方や、保育士は底辺職扱いである。
少なくとも保育士を確保していくためには、負担軽減ももとより、然るべき報酬・対価を与えることが必要である。
元より資本主義というのは人間の価値=収入である。日本はどちらかと言えば社会主義をベースにした中途半端な資本主義であるが、やはり収入が上がることは職業人としての誇りを持たせるのには大事な要素であり、負担軽減と然るべき報酬・対価を与えられるようになってこそ、児童虐待を減らせるものとなるだろう。
そのための制度が必要なのが今であり、保育士が安心して働ける制度・環境作りは、日本の少子化を改善するためにも急務である。