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介護事業者の数を半分に減らせ!!!話はそこからだ⓵

デービッド・アトキンソン氏が中小企業再編を唱えた際、それは大きな反響(というより反発)があった。
日本は中小企業が多すぎる。中小企業が多すぎることで生産性が上がらず、賃上げに抑止の作用が働くため、統廃合によって強化していこうというのがアトキンソン氏の論である。
少なくとも私の周りにはアトキンソン氏の主張には反対の声しか上がっていないが、私自身は敢えてこの論には賛成の意を示したい。何せ「中小企業の事業社数が多い」ことで生産性が上がらない業界があるのだ。それもごくごく身近にである。
その業界は介護と言う業界である。

横浜市だけで1470事業者

最近、ようやく介護職員の月収が9000円アップするというような報道が流れたが、愛知県医労連は「桁が一つ少ないが、これでも声を上げ続けた結果だ」という旨のツイートをしていた。介護職員は薄給であることで知られ、どれだけ求人をかけても人は応募してこない状況である。
ではなぜ介護職員の給料が低いのかと言えば、介護事業者のおよそ3分の1が赤字だからである。昨年(2020年)の通所介護に至っては42.5%が赤字、デイサービスに至っては90%がコロナで経営悪化をしている。
とは言え「介護のニーズは上がっていくのに何故赤字が出るのか」とは思わないだろうか?
一重に言えば、介護事業者の数が多すぎるのだ。

全国の介護事業所の数久留米大学大学院:田 栄富氏の論文より

これは介護事業「所」の数であるが、見ての通りなかなか多い。
と言っても大事なのは介護事業「者」数であるので、参考までに横浜市の認定介護事業者の数を数えてみたら1470事業者もあった。医療法人が多いが、ライオンズマンションを登記しているような事業者もあり、大半が中小事業者である。

事業者多けりゃ原価率も高い…

久留米大学大学院:田 栄富氏の論文より
単純に事業者数も多いことながら、利益率も低い。訪問介護、訪問看護に至っては支出の8割を人件費が占める。居宅介護支援など悲惨だ。
だが、当然支出とは人件費だけで全てではない。例えば介護保険制度によって利用者の自己負担率は1割ではあるが、残りの9割の部分は毎月1-10日の間に国保連合会へ請求をしなければならない。国保連への請求業務は専用の請求管理ソフトを使うのだが、このソフト、結構高い。一番安いと言われる国保中央会の介護伝送ソフトで60,000円する。一番安いソフトなので、安かろう悪かろうなのだが、このソフトを選んだ事業者は大抵、請求業務に苦労すると評判である。
介護伝送ソフトは基本的に自力で何とかしないといけないため、しっかりとしたサポートを受けるにはベンダーソフトが良いということになるのだが、それはそれで結構な値段がするわけで、ベンダーにお金を払えない事業者は泣く泣く介護伝送ソフトしか買えないということになるわけだ。
ここに加えて、今後の介護はロボットを活用していかなければならない。表では2007年から2016年の間に人件費の割合が減ったように見えるが、サービス受給者数に労働者数が追い付いていないことでそうなったのかもしれないし、他の要因もあるかもしれない。ただ、今後はロボットやITへの投資が出来るかどうかも肝になる。だが、介護事業者の多くは中小企業にして、約35%は恒久的に赤字である。ギリギリ黒字を保ててる事業者も凡そ35%と仮定すれば、実に7割の事業者はITやロボットに投資する金はないということになる。これで生産性の向上や賃金上昇というのは夢のまた夢であり、寝言に近い域となってしまう。正にアトキンソン氏の言う「中小企業が多すぎることで生産性が向上出来ない(賃上げもされない)」状況そのものである

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生活問題   2021/10/17   センチュリー・大橋

なぜ日本人はそこまで冷たくなったのかをキャリアから考える

現代ビジネスに寄せられた坂本教授(関西大学法学部)の「日本人は実は助け合いが嫌いだった」が大きな反応を呼んでいる。

坂本教授がISSP「政府の役割」調査を基に作成した上記グラフは2016年の結果だが、この結果は2011年の頃と日本はほぼ大差はない。2011年のデータの時でさえ「日本人は世界一冷たい民族」として話題になったくらいなのだが、それから五年経っても結果は殆ど変わらなかったと言える。一体いつから日本人はそこまで厳しい民族になったのか。元からなのか、何かしら原因があるのかという点について、日本の厳しい財政が関係しているであろうことが指摘されていたが、それだけが原因かと言えばまた謎である。
やはり市井の井戸端会議では「日本は平和で豊かな国」というのが一般的な認識であり、衰退中であることを率直に認めている人は少ない。何か別の理由が絡んでいる。そんな気がしているわけだ。

ところで小泉純一郎を支持していた私は政党座標テストでは新自由主義者としての判定を受けている。
そんな新自由主義者判定を受けた私から見て、日本人の共助や公助より自助や自己責任を好むようになった理由として、やはり新自由主義的価値観の浸透が切り離せないように考えている。
では新自由主義的価値観とは何かと聞かれると、それはキャリア志向と拝金志向にあると考えている。

キャリア志向は職業差別を生む

とあるツイッタラーが言っていたことに「新自由主義は民族差別を解消するが、門地差別を生む」というものがあった。
新自由主義的価値観の本質と言えばドラゴン桜を読むとわかりやすいのだが、徹底したブランド志向やキャリア志向がその源泉にある。キャリア志向は言わば如何にして自分が良い仕事に就くか。収入がアップできるかという視点でものが語られる、徹底した自己責任の世界だ。それこそ10代の頃からしっかりと将来を考えてキャリアプランを考えていく。遅くとも20代中盤にはキチンとキャリアと向き合い、しっかりと方向性を確立させていかなければならない。20代後半から考え始めるのではもう手遅れ。それがキャリアというものである。

さて、キャリアとは別にして、日本の世の中を回しているのは労働者である。それこそ時給1000円で工場勤務するようなおっちゃん、スーパーでコロッケを揚げているおばちゃん、イベントで観客を誘導するお兄ちゃん一人一人が現場で汗水垂らして働いて世の中は回っている。これから開催される東京オリンピックとてそれは過言ではない。これは普通に考えれば当たり前のことなのだが、こんな当たり前のこともキャリア志向が行き過ぎると見えなくなってくるのではなかろうか。

このツイートでも指摘されているが、基本的にキャリア志向と新自由主義は相性が良い。
そして新自由主義的価値観を持つ人に良く見られがちなのは、上昇志向で努力を怠らないが、それ故に努力できない人の気持ちは全くわからないということである。これらの人は自分からみて努力できない人は差別する対象になる。その指標は概ね年収によって測ることになるだろう。

新自由主義的価値観では人の命に値段をつける

新自由主義的価値観は根本的に優生思想なので、金を稼げない者は淘汰されるべき対象となる。これ即ち、無意識のうちに人の命に値段をつけるようになったのが新自由主義的価値観と言って良さそうだ。もちろん値付けの対象には自分自身も含めることになる。
よく「自分の市場価値を高めよう!」なんて類の広告を目にしたりしないだろうか。これ自体が既に命に対する値付け行為であり、自分の市場価値を上げると言うのは如何にして自分自身の命の価値(直接的に言えば年収)を上げられるかというドライな感性に基くので、こうして自身の市場価値を高めようとすればするほど、その価値観は自助と自己責任の思考が磨かれ、共助や公助の意識からは遠ざかるのではないかと考えている。

ところで新自由主義(ネオリベラル)というのは、かなり都会的な価値観であると言って良い。
なぜ日本人がそこまで共助や公助を嫌うのかをキャリアという一面だけで見たが、このキャリア志向は非常に都会的な価値観であるため、ある意味でネオリベラリズムの浸透は東京一極集中という問題も絡んでいるのではなかろうか。東京一極集中に加えてホワイトカラー志向が合わさると、ネオリベラリズムの浸透は促進されるように思える。東京は世界最大の人口を持つ都市だ。東京一極集中とホワイトカラー&キャリア志向が組み合わさっていけば、なんとなく日本人が冷淡になっていくのが自然な行き先な気がするのは、気のせいであろうか?

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新自由主義   2019/09/13   センチュリー・大橋
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