写真:長崎市のフリー写真素材より
人前で部下を叱るのは甘えだ
人前で部下を叱ることがパワーハラスメントとされるようになってきた事態に対して「言いたいことも言えなくなった世の中がおかしい」と言う人達を見かけるのだが、それはそれで上司こそ部下に甘えてきたのではないかという話である。
そもそも何故人前で叱る必要があるのか。
自分がそうされてきたから部下にもそうしているのか、はたまた自己顕示のためなのか。
上司たるもの人前で部下を叱るリスクは把握して然るべきである。人前で部下を叱る行為は叱られた部下だけでなく、組織全体にも士気の低下をもたらす。百害あって一利なく、人前で部下を叱る上司こそが部下に甘えているのだ。これとて、日本に儒教文化が浸透しているおかげで、自らを危険に晒すことなく人前で叱れるのである。
今のまま外国人と働けるのか
フィリピンでは、相手が誰であっても、公衆の面前で罵倒し、恥をかかせるといった行為はタブーとされています。
たとえ自分の家族に対する暴力的な言動であっても、周囲からいやがられます。従業員を他の従業員の面前で叱責したために暴行・脅迫を受けた例や、自分の配偶者や子を叱っていて他人から訴えられ、警察に逮捕された例もあります。
フィリピン人のプライドの高さを理解し、良好な人間関係の構築に努め、他人だけでなく知人、家族等に対しても、絶対に暴力的な言動をとらず、諍いや争いを避け、たとえ相手に非があっても恨まれないように日頃から行動することがもとめられます。金銭トラブルや男女問題等には特に注意してください。
これはフィリピン大使館で実際に日本人向けにアナウンスされている文面である。どうしてフィリピン大使館がこんな文面を載せているかといったら、それは在比邦人のビジネスマンで、そういうトラブルに巻き込まれる人間が多いからである。同様のトラブルに巻き込まれるのは、韓国人なのだそうだ。
日韓で共通するのは儒教国と言ったところか。
そしてこれを「フィリピンと日本を一緒にするな」という問題で済ませてもいけない。実際のところ、少子高齢化の進む日本では、この先、移民がいなくては生活が成り立たないのである。
既にコンビニのアルバイトは大都市を筆頭に外国人労働者でカバーしている。配送ドライバーですら外国人労働者への依拠が進んでおり、外国人の部下を抱えるなど、この先、全く珍しいことではなくなるということだ。
当然、言葉や育った背景の違う人間に、いきなり日本の儒教的文化を理解しろと言っても理解は得られないであろう。それが命取りになる未来というのは、充分にあり得ることなのだ。
役員の仕事は会社の仕組み作りではないのか
現代のマネージャー(課長)はプレイヤーも兼ねていることが多く、業務は煩雑であることは否めない。
今の若者は8割が出世を希望しないとも言われている。
新人教育をしている最中に「無能な管理職だ」と叱責された倉敷紡績の管理職にしても、出世を希望していたとは限らない。
世界的に見れば「女性の管理職が少ない」としてジェンダーギャップの問題が取り沙汰される日本であるが、一方で日本企業においては男性が出世圧力を受ける場面は多い。一定の年齢になると「いつまでも主任ってわけには行かないでしょ」というような「早く次のステージに上って頂戴」という圧力が加わることが多い。
また、出世は「自分が出世したいかどうか」以上に、その当時の上司目線で見て「出世させたいかさせたくないか」という要素が大きいため、倉敷紡績の「無能な管理職だ」と叱責された管理職もまた、望んで出世したか否かはわからないものだ。
元より「無能な管理職だ」と叱責した役員自身もまた、有能とは言えないのではないか?
その「無能な管理職」も「誰かの意向で出世した」のであり、本当に「無能な管理職」が出来てしまったというのなら、それは会社の人事制度に問題があると言うことだ。では会社の人事制度は誰の意向で作られるのか。それは会社の役員であり、或いは社長である。
社長や役員の仕事は会社全体の舵取りであり、社長がリーダーシップを得意とするなら、役員はマネジメントの仕組みを整えるのが仕事なのではないか。
それが出来ないなら、本当に無能なのはその役員ではないかということだ。
「言いたいことも言えない世の中になっておかしい」
これは違うぞ。そういう人が言いたいことを我慢する世の中の方が、寧ろマシな世の中になるのである。