横浜センチュリー

📰Side Beach Journal
  • トップページ
  • 今さら振り返る表現の不自由展:大村県知事の発言は正論だった⓵
下層ページタイトル背景

新着情報詳細

このエントリーをはてなブックマークに追加

今さら振り返る表現の不自由展:大村県知事の発言は正論だった⓵

Twitter政治で度々見かけることがある話題が表現の自由というものであるが、この話題に遭遇するのは大抵、アニメやゲームコンテンツにおける女性キャラクターの扱われ方に関するものであった。
その論争は日本国憲法の成立面からは些かズレた論争に見えたのだが、あいちトリエンナーレにおける表現の不自由展においては、いよいよ日本国憲法の本質面を問われる事件と言えるものだった。

主観的に言えば展示内容はとても芸術とは思えぬものであったし、税金を使って展示するには相応しく無いと考えていたものだったが、大村県知事は「税金で行われるイベントだからこそ表現の自由は守られなければならない」というものであった。
あれから時が経ち、練馬図書館のリサイクル図書で「図書館の発見(前川恒雄/石井敦:著)」を読んでみると、大村県知事の意見が正解であったということを痛感することとなった。

表現の不自由展の論点

あいちトリエンナーレ:表現の不自由展の論点

21世紀日本でも消えぬ「思想善導」の考え方

表現の不自由展で問われたことは「こんな不快な展示を税金使ってやるな!」というものであった。
「こんなものは不快なのだから私費でやれ!」ということが問われたのが、あいちトリエンナーレにおける表現の不自由展論争である。
しかし、富岳というアカウントの言う通り、税金を使って不快な展示をしてはいけないというなれば、図書館には時の政府を批判するような本は置けなくなるだろう。
もっと言えばライトノベルだって「税金を使って収集するようなものでは無い!」と怒る人が沢山がいたら、図書館からライトノベルは消えてしまうかもしれない。いや、実は昔の図書館にはそういうことを言う人がいたのである、
日本の公立図書館というものは明治期にスタートしたわけであるが、もともとの図書館に関する考え方は正に、トリエンナーレの不自由展に批判的な態度を取った人達と近しい考え方だ。
日本における公共図書館は西洋と異なり、出発点が「本を見せてやる施設」だったのであるが、あいちトリエンナーレを「税金で出店させてやってるイベント」と捉えてしまうと、それは明治期の図書館思想と変らず、税金で行われる展示は思想善導に役立たねばならないということになる。
尤も、治安維持法発令後は、私立図書館であっても不自由展に展示されたような内容は「単純所持が違法」になったのであるが…。

メンタリストDaigo炎上関連記事

目指す方向性を箇条書きせよ:危機から抜け出す都市ビジョンのあり方
愛知県   2021/08/31   センチュリー・大橋
PAGE TOP