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今さら振り返る表現の不自由展:大村県知事の発言は正論だった⓶

「税金で行う展示会だからこそ表現の自由は守られなければならない」

あいちトリエンナーレで大村県知事の発言した内容は、図書館の姿を考えても見れば当然の発言であった。
日本国憲法21条では表現の自由が認められているが、日本国憲法はそもそも大日本帝国における過ちの反省から生まれたものだ。
戦前の治安維持法下に於いては、左翼思想とみなされたものは単純所持すらが禁止となっている。
日本が戦争に突き進んだのは世論が戦争を求めたからであるが、広島と長崎に原爆が投下されるまで日本は戦争を止められなかったのであるから、如何に多様性無き社会が危険かはわかるだろう。

図書館の発展はデモクラシーと共にあった

日中戦争以前の日本の図書館を見て見ると、自由民権運動や大正デモクラシーに伴って発展している様子が伺える。
民主的な運動が図書館の発展を支えるということについては、WW2前と後で大きな違いは無いようで、日本においては治安維持法成立後、図書館を巡る運動も鎮火されてしまったようだ。
もともと大日本帝国の政府にとって図書館は「思想善導に役立つかどうか」が大事なのであって、人々が自由に言論を交わすことについては否定的であったわけだから、あいちトリエンナーレで盛んに言われた「税金で不敬なものを展示するな」という考え方は、ある種の大日本帝国的な発想とも言えるかもしれない。

太平洋戦争終結後、日本の図書館は「図書館の自由に関する宣言」を出している。
この図書館の自由に関する宣言で最初に来ているもの、それは図書の収集の自由である。収集に関する宣言は次の5つからなるが、もちろん図書の収集は税金でもって賄われるものである。

(1) 多様な、対立する意見のある問題については、それぞれの観点に立つ資料を幅広く収集する。
(2) 著者の思想的、宗教的、党派的立場にとらわれて、その著作を排除することはしない。
(3) 図書館員の個人的な関心や好みによって選択をしない。
(4) 個人・組織・団体からの圧力や干渉によって収集の自由を放棄したり、紛糾をおそれて自己規制したりはしない。
(5) 寄贈資料の受入にあたっても同様である。   
図書館の収集した資料がどのような思想や主 張をもっていようとも、それを図書館および図書館員が支持することを意味するものではない。

当然ながら図書館は皇室を崇拝する本を収集しても良ければ、皇室解体を主張する本を収集しても良い。税金で買い集めるからと言って、特定の主張の書籍を排除するようなことはあってはならないということである。

現代版治安維持法を求める声は多いかも知れない

あいちトリエンナーレは図書館のイベントでは無いが、表現の自由の本質が問われるという点では、図書館と共通する部分がある。
普段アニメやライトノベルが好きな者が「表現の自由を守れ!」と言った同じ口で「税金で日本人を貶めるような不快な展示をするな!」と叫ぶ者がいるのだから、そういった人は表現の自由の本質的な点を理解していないのかも知れない。

あいちトリエンナーレが露わにしたのは、現代版の治安維持法を求める声が大きくなっていることであろう。
憲法改正がしきりに叫ばれているが、恐らく日本人は「人権」というものを有難く思っていない人が多いのかもしれない。実際問題として自民党改憲案では基本的人権に掛かる97条が削除されているのだが、このことについて危機感を持っている国民は少ない。

先日、常滑市でのライブイベントに於いて観客が密になり、コロナ感染の拡大に繋がるものとして、大村県知事が立腹する場面があった。
だが、だからと言ってイベント禁止をするということはなく、表現の自由を守るという一点に於いて、大村県知事の行動は一貫している。
そうした意味では大村県知事の方がよほど表現の自由があることの大切さ、即ち歴史を理解している政治家と言えるのかもしれない。

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