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Youtubeで社会学を学んではならない3つの理由⓵

社会学の不確かさ

写真:川北町のフリー写真素材

宇宙の話とは面白いもので、少なくとも同一宇宙内で働く物理法則については、天の川銀河でもアンドロメダでも同一の物理法則が働くと言われている。
言ってしまえばバルタン星でも地球でもゼットン星でも働いている数学的な原理は同じであり、異なるのは数式の記述方法と言うことのみである。
バルタン星人と地球人で数式の記述方法は同じでも、数学的な原理は同じであり、数学は一種の共通言語として機能すると言うことである。

ある意味で、自然科学には絶対の正解が存在し、異なることは誰が見つけてどう記述するかの違いしかないのだ。

では社会学はどうであろうか。
少なくとも地球人とバルタン星人の社会の在り方は異なるであろうことが考えられる。
もちろんバルタン星人はウルトラマン内に出てくる創作上の生物ではあるが、少なくともバルタン星に貨幣と言うシステムがあるかは怪しいし、音楽や文学が存在するかも疑わしい。

しかし、少なくとも地球経済は貨幣•通貨システムによって回っているし、音楽や文学も存在する。
音楽や文学さえ各国毎に特色があり、貨幣システムは金銀銅と言う有形資産に対する価値付けをしていた時代から、現代では「国家の信用」と言う無形資産に対する価値付けへと変化している。

自然科学は物理法則が定められているがために絶対的な正解が存在するが、社会学は少なくとも地球人が中心に回っており、地球人内にも各国•民族の歩んだ歴史の違いや利害の対立があることから、一定の不確かさが存在する。

不確かさが存在すると言うのは人間にとって不快なもので、不確かさを許容することは一種の不快さを受け入れることでもある。
その一方で、不確かさを明らかにしようとするには思考と手間が要る。
不確かさは手間であるが、思考と手間は苦痛であり、これがYoutubeに騙されるであろう人のベースにある。

ゴールポストが動く可能性が高い

「不確かさの存在」と言う意味では「自然科学(数学・物理)にもあるだろう」と言われればその通りである。
ただし、物理法則は予め決められているのであるから、ゴールポスト自体は動かない。
一方、社会学はゴールポスト自体が動く可能性がある。

世の中は絶えず変動していくのであるし、ともすれば経営や政策というのは、あらゆる学問や経験との総力戦である。
絶対の正解はないが、失敗を犯せば致命傷となりかねない。
そして社会全体が不確かになればなるほど「確実な(ように見える)ことを言い切ってくれる他者」を欲されるものである。

これはYoutubeを通して人が騙されていく土壌にある。

VTuberが示している感情扇動性

社会学をYoutubeで学んではいけない理由は概ねVTuber界隈を見れば明らかだ。
VTuberの世界はスーパーチャットと呼ばれる「お布施」を幾ら集めたかが重視される世界であるが、リスナーはリスナーでスパチャによって信仰度を競い合っている。

こうした信仰度を競い合うゲームに参加する過程で感情を支配され、感情に支配される。
Youtubeの危険度はこの点にある。
活字と動画の大きな違いは、ペース配分の主導権が受け手にあるか発信者にあるかの違いである。
活字に於いては読み進めるペース配分の主導権は読み手にあり、必要に応じて速読、精読、複読を使い分けることができる。
一方、動画における主導権は発信者側だ。
特にLive配信になると傾向は一層強まる。

加えて動画コンテンツでは「何を言ったか」以上に「どんな伝え方をしているか」の方が受け手にとっては重要だ。
聞きやすいかどうか、分かり易いかどうかであり、実は正誤はそこまで重視されていない。
これが動画コンテンツの持つ危険な特性である。

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ジャーナリズム   2025/08/31   センチュリー・大橋
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