Youtubeで社会学を学んではならない3つの理由⓶
動画は感情を支配する
社会学についてYoutubeで学んではいけない理由を一言で纏めるなら「感情を支配される」からである。
同一配信者の動画を見続けている内に感情を支配され、行動はやがて感情に支配される。
特に社会学に関することはホロライブなどのライバーに対するお布施行為とは違い、暴動や事件、政策など現実世界を侵食していくことが多い。
ネットで財務省解体論者と議論になると、少なからず三橋貴明氏の動画を見ることを勧められる。
しかし、中小企業診断士による動画ではなく、経済学の学会やシンクタンクの人間が書いた論文の提示を求めると、返答が返ってこないことも少なくない。
少なくとも大学教育・研究に於いて主流ではない主張の場合、論文を見つけることは容易ではないことも勿論ではあるが、恐らく三橋氏の動画で金融を学んだと言うものは大学論文は読んでいないであろう。
いわゆる、動画を視て主張には賛同したものの、学説的、学術的なことは理解していないのである。
そもそも動画は活字と異なり、発信者の感情データも多く含まれることから、中身は理解できなくとも感情的に納得できれば学術的背景はどうでも良い、と言うことが起きてしまう。
感情を支配される3つのプロセス
動画で社会学を学んではいけない理由は感情を支配されるからである。
感情を支配されるプロセスは3つあり、下記の3つを通り越すと、行動が感情に支配されるように変化する。
1️⃣サムネイルに引っかかる
2️⃣話し方に掴まれる
3️⃣再生を繰り返す内に染まっていく
実際のところ、動画コンテンツは内容の正誤は重視されない。
大事なことは話者の話し方、話すテンポであり、かつ進行のペースは発信者が握っていることから、繰り返し再生をするうちに染まっていくのである。
最初の段階ではまず感情が支配される。
まずはサムネに引っかかると言うのは大きいだろう。
いわゆる解説系動画でよく見られるサムネは黒い背景に刺激色の文字で目立たせるという構図である。
次に話し方が面白い、テンポが軽快などの要素があると、そこで人は引き込まれてしまう。
新着コンテンツが投稿されることで再生を繰り返してしまい、感情はやがて発信者によって支配されるようになる。
そして感情の支配が完了すると、次は感情「に」支配される構図へ変化する。
感情に支配されるフェーズになれば行動に影響が出るため、犯罪リスクが大いに上昇する。
感情支配完了-そして人は攻撃的になる
社会学…取り分け政治分野を動画で学ぶ危うさは、視聴者稼ぎに当たって配信者が問題を「単純化する」ことによって得られる視聴者側の「納得感」にあると言えよう。
複雑な問題を単純化させる手法として「外敵を作り出す」と言うものがあるが、一見複雑な問題が単純化されると人は爽快さを感じるものである。
漠然とした不安は確信に代わり、外敵を作り出す手法では不安は憎悪に変化する。
憎悪に取り憑かれた人間が次にやることは何かなど想像は容易く、実際にアメリカでは犯罪となって現れている。
勿論まったく動画を観てはいけないとは言わないが、やはり社会学の勉強には活字こそが最適であり、冷静な思考を磨くためにも活字に触れるべきである。

