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Year 2025

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Youtubeで社会学を学んではならない3つの理由⓶

動画は感情を支配するA302ZTで撮った川北町

写真:川北町のフリー写真素材

社会学についてYoutubeで学んではいけない理由を一言で纏めるなら「感情を支配される」からである。
同一配信者の動画を見続けている内に感情を支配され、行動はやがて感情に支配される。

特に社会学に関することはホロライブなどのライバーに対するお布施行為とは違い、暴動や事件、政策など現実世界を侵食していくことが多い。
ネットで財務省解体論者と議論になると、少なからず三橋貴明氏の動画を見ることを勧められる。
しかし、中小企業診断士による動画ではなく、経済学の学会やシンクタンクの人間が書いた論文の提示を求めると、返答が返ってこないことも少なくない。

少なくとも大学教育・研究に於いて主流ではない主張の場合、論文を見つけることは容易ではないことも勿論ではあるが、恐らく三橋氏の動画で金融を学んだと言うものは大学論文は読んでいないであろう。
いわゆる、動画を視て主張には賛同したものの、学説的、学術的なことは理解していないのである。

そもそも動画は活字と異なり、発信者の感情データも多く含まれることから、中身は理解できなくとも感情的に納得できれば学術的背景はどうでも良い、と言うことが起きてしまう。

感情を支配される3つのプロセス

動画で社会学を学んではいけない理由は感情を支配されるからである。
感情を支配されるプロセスは3つあり、下記の3つを通り越すと、行動が感情に支配されるように変化する。

1️⃣サムネイルに引っかかる
2️⃣話し方に掴まれる
3️⃣再生を繰り返す内に染まっていく

実際のところ、動画コンテンツは内容の正誤は重視されない。
大事なことは話者の話し方、話すテンポであり、かつ進行のペースは発信者が握っていることから、繰り返し再生をするうちに染まっていくのである。

最初の段階ではまず感情が支配される。
まずはサムネに引っかかると言うのは大きいだろう。
いわゆる解説系動画でよく見られるサムネは黒い背景に刺激色の文字で目立たせるという構図である。
次に話し方が面白い、テンポが軽快などの要素があると、そこで人は引き込まれてしまう。
新着コンテンツが投稿されることで再生を繰り返してしまい、感情はやがて発信者によって支配されるようになる。

そして感情の支配が完了すると、次は感情「に」支配される構図へ変化する。
感情に支配されるフェーズになれば行動に影響が出るため、犯罪リスクが大いに上昇する。
 

感情支配完了-そして人は攻撃的になる

社会学…取り分け政治分野を動画で学ぶ危うさは、視聴者稼ぎに当たって配信者が問題を「単純化する」ことによって得られる視聴者側の「納得感」にあると言えよう。
複雑な問題を単純化させる手法として「外敵を作り出す」と言うものがあるが、一見複雑な問題が単純化されると人は爽快さを感じるものである。
漠然とした不安は確信に代わり、外敵を作り出す手法では不安は憎悪に変化する。
憎悪に取り憑かれた人間が次にやることは何かなど想像は容易く、実際にアメリカでは犯罪となって現れている。

勿論まったく動画を観てはいけないとは言わないが、やはり社会学の勉強には活字こそが最適であり、冷静な思考を磨くためにも活字に触れるべきである。

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Youtubeで社会学を学んではならない3つの理由⓵

社会学の不確かさ

写真:川北町のフリー写真素材

宇宙の話とは面白いもので、少なくとも同一宇宙内で働く物理法則については、天の川銀河でもアンドロメダでも同一の物理法則が働くと言われている。
言ってしまえばバルタン星でも地球でもゼットン星でも働いている数学的な原理は同じであり、異なるのは数式の記述方法と言うことのみである。
バルタン星人と地球人で数式の記述方法は同じでも、数学的な原理は同じであり、数学は一種の共通言語として機能すると言うことである。

ある意味で、自然科学には絶対の正解が存在し、異なることは誰が見つけてどう記述するかの違いしかないのだ。

では社会学はどうであろうか。
少なくとも地球人とバルタン星人の社会の在り方は異なるであろうことが考えられる。
もちろんバルタン星人はウルトラマン内に出てくる創作上の生物ではあるが、少なくともバルタン星に貨幣と言うシステムがあるかは怪しいし、音楽や文学が存在するかも疑わしい。

しかし、少なくとも地球経済は貨幣•通貨システムによって回っているし、音楽や文学も存在する。
音楽や文学さえ各国毎に特色があり、貨幣システムは金銀銅と言う有形資産に対する価値付けをしていた時代から、現代では「国家の信用」と言う無形資産に対する価値付けへと変化している。

自然科学は物理法則が定められているがために絶対的な正解が存在するが、社会学は少なくとも地球人が中心に回っており、地球人内にも各国•民族の歩んだ歴史の違いや利害の対立があることから、一定の不確かさが存在する。

不確かさが存在すると言うのは人間にとって不快なもので、不確かさを許容することは一種の不快さを受け入れることでもある。
その一方で、不確かさを明らかにしようとするには思考と手間が要る。
不確かさは手間であるが、思考と手間は苦痛であり、これがYoutubeに騙されるであろう人のベースにある。

ゴールポストが動く可能性が高い

「不確かさの存在」と言う意味では「自然科学(数学・物理)にもあるだろう」と言われればその通りである。
ただし、物理法則は予め決められているのであるから、ゴールポスト自体は動かない。
一方、社会学はゴールポスト自体が動く可能性がある。

世の中は絶えず変動していくのであるし、ともすれば経営や政策というのは、あらゆる学問や経験との総力戦である。
絶対の正解はないが、失敗を犯せば致命傷となりかねない。
そして社会全体が不確かになればなるほど「確実な(ように見える)ことを言い切ってくれる他者」を欲されるものである。

これはYoutubeを通して人が騙されていく土壌にある。

VTuberが示している感情扇動性

社会学をYoutubeで学んではいけない理由は概ねVTuber界隈を見れば明らかだ。
VTuberの世界はスーパーチャットと呼ばれる「お布施」を幾ら集めたかが重視される世界であるが、リスナーはリスナーでスパチャによって信仰度を競い合っている。

こうした信仰度を競い合うゲームに参加する過程で感情を支配され、感情に支配される。
Youtubeの危険度はこの点にある。
活字と動画の大きな違いは、ペース配分の主導権が受け手にあるか発信者にあるかの違いである。
活字に於いては読み進めるペース配分の主導権は読み手にあり、必要に応じて速読、精読、複読を使い分けることができる。
一方、動画における主導権は発信者側だ。
特にLive配信になると傾向は一層強まる。

加えて動画コンテンツでは「何を言ったか」以上に「どんな伝え方をしているか」の方が受け手にとっては重要だ。
聞きやすいかどうか、分かり易いかどうかであり、実は正誤はそこまで重視されていない。
これが動画コンテンツの持つ危険な特性である。

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