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2024/12

2024/12 一覧

「マスコミは嘘付きだ!」⇨「真実はネットにある」とする深刻な理由⓶

陰謀論にハマるネット民

一体ネット民は何故に陰謀論にハマるのか。
少なくとも陰謀論にハマるネット民はマスコミ嫌いが多い。
マスコミの報道に対して「こんなことではないはずだ」と言う思いがあるが、しかし対立仮説を立てたり検証を行うことは面倒くさい。
このため「自分の思いを代弁してくれるインフルエンサー」を探すのである。

当然、このインフルエンサーが言っていることも事実に基かないことは多い。
しかし「マスコミは絶対に嘘を吐いている」と言う確たる信念と「マスコミが嘘を言っていることの検証は面倒臭い」に加えて「この配信者は俺の思っていたことを代弁してくれている」と言う自体が重なった時、実は「真実などどうでも良くなっている」のである。
そして行き着く先は陰謀論である。

日本でも産まれる派生アノン

アメリカではQアノンと呼ばれる陰謀論者達の存在があるが、日本でも様々な「アノン」が存在している。
共通しているのは「マスコミが嫌いだ」と言うことと「自らは検証をしたがらない」と言うことである。
また、検証は単に「面倒」なだけではないのかも知れない。
「検証した結果としてマスコミが正しかった」と言うことも充分起こり得るのである。

マスコミが正しかった場合、自らのアイデンティティが崩壊する危険性があることもまた、反証の検証を行わない理由なのかも知れない。
そんな彼らが⚪︎⚪︎アノンに堕ちて行くのは必然と言えば必然なのだろう。

マスコミ否定がもたらす事実否定と反知性主義

尤も、マスコミ否定の為に検証活動をしたとしても、ある程度はマスコミの方が正しいことが多いのである。
と言うのも、マスコミは仮にも「現場」に行き、取材を通して「現実」に触れていることが多いのであるから、ある程度は正しいことが多いのだ。

そのため、マスコミの反証をしようと思っても簡単ではなく、それ故に反証のための検証はとても面倒になるのは無理もないことである。
しかし、それはそれとして「マスコミは違う」と言う思いも止められないことで、自分の中の「真実はこうなっている筈だ」と言う思いを代弁してくれるインフルエンサーを見つけ、スパチャなどをやっている内に、どんどん引けなくなっていくのであろう。

無論、ネットの海から「真実」が見つかることなど殆どない。
少なくとも「政治」と言うジャンルにおいては…。

マスコミを否定するための手段としてのTwitter、Youtube。
そこには取材もデータの収集も検証も何もない。
その行き着く先は反知性主義のそれであり、事態は深刻である。

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ジャーナリズム   2024/12/21   センチュリー・大橋

「マスコミは嘘付きだ!」⇨「真実はネットにある」とする深刻な理由⓵

ただのマスコミの逆張り

写真:大阪港のフリー写真素材より

東京都知事選挙で暇空茜が11万票獲得し、兵庫県知事選挙で斎藤元彦氏が再選する背景には、マスコミの影響力の低下が考えられる。
尤も都知事選で勝利した小池百合子氏はテレビの女王であるが、斎藤元彦氏の勝利は折田楓氏の尽力などによるネット戦略は、大きく影響していることが見て取れよう。

それにしても昨今の世論の中で恐ろしいものの一つが「マスコミ悪玉論」である。
勿論マスコミを疑うこと自体は悪いことでない。
問題はマスコミを疑う対象としてネットを信じることである。
こうして生まれるのが「思考なきマスコミの逆張り」である。
これがなかなかに深刻だ。

マスコミ悪玉論で思考停止

マスコミ悪玉論を掲げても、その為の材料として自ら取材に出かけ、データを集め、分析をするのならまだ良い。
当たり前だがマスコミが正しいとは限らないからだ。
しかし、自ら検証する工程を飛ばし、ネットに飛びつくのはプロセスとして間違っていると言わざるを得ない。
マスコミの報道が間違っているというのであれば、その反証としては「検証」と言うプロセスを経ねばならない。

ところが多くのネット民にとって面倒なプロセスが正に「検証」である。
検証には大きな労力がかかり、そのプロセスは三現主義に基いていなければならない。
しかし、ネットを前にし、マスコミの報道と言う名のコンテンツを消費しているに過ぎないネット民にとって、正に面倒なプロセスが検証である。
検証はとても面倒だ。
だからやらない。
その代わりとして「ネットで自分の意見を代弁してくれるYoutuber/インルエンサー」を探すことになる。

マスコミ嫌いも自分で動くことと考えることは放棄

TwitterやYoutubeなどでネットメディアが当たり前になり、反マスメディアの感情だけが突っ走ると、気がつけばインフルエンサー信仰の出来上がりだ。
このインフルエンサー信仰は厄介なところとしては、信仰者側のリスク回避行動としてのインフルエンサー信仰がある。

インフルエンサーが生まれるプロセスはよく分からないものであるが、一旦インフルエンサーになれれば大きな収益を生み出すことができる。
例えネットと言えども、何かを発信するのにリスクはつきものだ。
批判されるリスクも負うし、時には個人情報を探られるリスクも負う。
インフルエンサー依存者にとってもノーリスクで自分の意見を代弁して貰えるのだから、これが深みにハマるのである。

検証と言う面倒なプロセスはカットしたい。
そしてリスクを負わずに自分の思ってることを拡散したい。
そうなった時、ネットのインフルエンサーは間接的に自分を肯定するための存在となり、やがてハマることになるのが陰謀論である。

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ジャーナリズム   2024/12/15   センチュリー・大橋
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