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2022年11月

2022年11月 一覧

「スポーツに政治を持ち込むな」という日本人が犯している間違い⓶

大きな金が動くスポーツイベント

4年に1度しかない国際大会では、招致に向けて政治家が大いに関わっていることは先に述べた通りである。
東京地検特捜部による捜索が続いている五輪汚職だが、東京オリンピックだけを見ても、安倍晋三、小池百合子、森喜朗と言った政治家が招致・運営に関わっている。それは招致することに対する政治的なメリットがあるから政治家が動くのであり、政治的な意図が無ければ動くことは無いだろう。

「スポーツに政治を持ち込むな」と言うなら、政治家は一切スポーツ大会の招致や運営に関わらないようにした上で言ってもらいたい。
だが、現実には政治家を関わらせずに五輪やW杯を招致出来るかと言えば、そんなことも無いだろう。
加えて一度招致すれば莫大な金が動くことになる。
東京五輪の新国立競技場にしろカタールW杯のスタジアムにしろ、ビッグイベントの招致後には巨大な公共事業が絡んでくる。正に政競一致と言ったところである。

開催国に問われる品格

ナチスドイツの五輪招致以降、ビッグイベント開催国は自国の「物質的な豊かさ」を示す手段として、スポーツ大会を招致してきたのではなかろうか。
ところがオリンピックは本来「このスポーツ大会をやる間だけは休戦しましょう」という政治的なイベントなのである。そしてW杯はオリンピックを意識して造られたものだ。
W杯の起源はパリオリンピック(1924年)とアムステルダムオリンピック(1928年)にある。
この2大会でサッカーは大成功を収めたことから、1930年にウルグアイで初のW杯が開催された。4年に1度開催する理由もオリンピックを意識したものだからだ。

ビッグイベントは招致する側としては物質的な豊かさを示すため、或いは国内の公共事業を通して経済活動を促進するためと言った目的があろう。
一方で、他の国(特にヨーロッパ)から見たスポーツイベント開催国というのは、単に物質的な豊かさを持っているだけでなく、人権を守る国なのかどうかということが、よく問われる時代になってきたように見える。

カタールのW杯に対し、ヨーロッパnnのにんは下記の2つの点を問題視している。

⓵W杯招致してから10年で6500人の外国人労働者が亡くなっている
⓶カタールは法律で同性愛が禁止されている

日本人にとってはどうでも良い内容かもしれないが、ヨーロッパ人にとってはこれがどうでもよい話ではない。
北京ではと冬季オリンピックが予定されているが、やはりウイグル問題などで糾弾されることであろう。今やスポーツのビッグイベントは開催国としての品格が求められる時代となってきたと言える。

五輪やW杯は今や政治の一部である

オリンピックやW杯は今や政治の一部である。いや、寧ろオリンピックは成立そのものが政治そのものであり、政治と切り離すことが出来ないものだ。
それ故に「スポーツに政治を持ち込むな」というのは、少なくともオリンピックやW杯では筋違いというものである。

とは言え、やはりカタール開催のW杯に於いて、カタール開催の持つ政治性を無視出来た日韓と、そうではない西欧とでは、やはり試合そのものに対する影響はありそうではある。
西欧はカタール開催にあたり「開催国として人権を尊重する国なのか」ということを重視している。反面、日本や韓国は労働者の人権を尊重すると言った習慣がない。それ故にカタール開催に当たっても政治問題になり辛く、寧ろそうしたカタールの政治的な問題は報道されてこなかった節がある。
FIFAはアジア勢が西欧勢に勝って大番狂わせをする展開を予見していたようであるが、こうした「政治的背景」を考慮すると、アジアが西欧勢に勝っているのは何も大番狂わせとまでは言えない。
当然の展開とは言わずとも予想は出来たものであり、労働者の人権を守る習慣の無い国が結果的にW杯で優位なポジションを取っていくというのは、なんとも皮肉な展開としか言いようはない。

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ジャーナリズム   2022/11/30   センチュリー・大橋

「スポーツに政治を持ち込むな」という日本人が犯している間違い⓵

スポーツは政治と無関係なのか

「スポーツに政治を持ち込むな」とは日本人の口にする言葉の1つであり、日本人はスポーツの世界に政治を絡めることはタブー視している節がある。
「スポーツに政治を持ち込むな」
一見すると正しく見える言葉であるが、それこそ中高生の部活レベルならいざ知らず、4年に1度しかないビッグイベントでは些か相応しくないタブーである。
そもそもスポーツが政治と無関係なのかということが大きな問題だ。
確かに趣味として行う草野球やらテニスには、政治的な要素は絡まない。それはあくまでレクリエーション活動に過ぎず、公園でテニスをしようがサッカーをしようが、それ自体は政治とは無関係である。

では中高生の部活はどうだろうか。
例えば日本人の大好きな甲子園。これもやはり政治性と商業性を排除し、一度でも負けたら後がない球児達が全力でプレーすること、そんなアマチュア球児達の晴れ舞台を応援することに醍醐味がある。やはり中高生の部活レベルのスポーツに政治を持ち込むのは野暮である。
中高生の部活に限ったことではないが、やはりアマチュアスポーツには政治性を持ち込むのは些か不適切であり、アマチュアスポーツに至っては間違いなく「スポーツに政治を持ち込まない」は当然と言えよう。

ではプロの世界はどうなのか。
これは必ずしも無関係とは言い難い。代表的なのは巨人の渡辺恒雄の存在であるが、同様にホークスの孫正義も外せない。
個々の選手に政治的影響力は無いが、オーナーが強い政治的影響力を有していることがある。野球に顕著であるが…。

4年に1度の大会には政治が絡む

とはいえ、いくらナベツネや孫正義が政治的影響力を有していると言っても、それをスポーツ界全体に当てはめるのは無理筋と言えよう。
ではJリーグのオーナーで政治的影響力を有した者がいるかと言えば、いないこともないであろうが、やはり野球界と比べればインパクトのあるキャラはいない。
一方、サッカーや野球以外に目を当ててみると、日本財団の祖である笹川良一は競艇を通してスポーツ界(ギャンブルも兼ねているが)で名を上げた人物である。笹川良一没後は笹川陽平が財団を引き継ぎ、今もスポーツ界、政界に大きな影響力を持った財団だ。

それでも普段のプレー活動の中で政治色が表に出ることはそうそうあるまい。そもそも普段のプロスポーツで重要なのは政治性ではなく商業性だ。
企業の商業活動における営利事業としての目的が第一であるから、政治色などそうそう表に出ようはずもない。
阪神タイガースなどは「球団ではなく教団」などと言われることもあるが、それはまた別の話である。

ところが「4年に1度の国際大会」となると話が一気に変わってくる。
普段のアマチュアスポーツに無く、或いはプロスポーツでも表出しない政治色が、オリンピックやW杯になると出てくるわけである。
普段のアマチュアスポーツやプロスポーツとの大きな違いは、主導権を握るのが政界になるからだ。仮にも企業の営利活動である普段のプロスポーツと違い、4年に1度の国際大会を主導するのは政治家になる。もはや「スポーツに政治を持ち込む」と言うより「政治がスポーツを持ち込んでいる」と言った方が正解に近い。

開催国には当然政治的な意図が絡んでいる

4年に1度の国際大会に政治家が動く以上、当然ながら開催国には政治的な意図があって招致している。
そもそもオリンピックなど成立からして「開催中は戦争を中断しましょう」という政治的な目的があるし、W杯にも「スポーツに政治が持ち込まれている」からロシアやベラルーシが参加できないのだ。
「スポーツに政治を持ち込んではならぬ」のなら、ロシアやベラルーシにも参加権を与えねばならない。

そして近代オリンピックの開催はナチスドイツに国威発揚の目的があったように、やはり開催国になりたい国は何かしらの政治意図があるのである。大抵は国威発揚であるが。
こうなると「スポーツに政治を持ち込むな」という言い分は通用しない。そもそも「政治がスポーツを持ち込んできた」のであるから、政治と無縁であることなど有り得ぬのである。

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ジャーナリズム   2022/11/28   センチュリー・大橋
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