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進路選択

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中高生時代に勉強に打ち込ませることが必ずしも良いとは言えない⓶

残念ながら就職は「運」で決まる

金沢市のフリー写真素材より

大学受験までは得てして実力だけで戦える。学力(テストの点数)という数値のみで判断されるからだ。
ところが就職は違うのである。
就職と受験の大きな違いは相手の有無だ。就職にも筆記試験がある企業はあるが、実力だけで戦えるのは筆記試験のみ。その先の面接は「運」で決まるのである。

もちろん就職の対策の為に面接練習をする学生は多いだろう。しかし、どんなに完璧な志望動機を作った(つもりである)としても良い資格を持っていたとしてもサークルなどで実績を出していたとしても、最後は運で決まる。現場の人(一次面接)に気に入られ、二次面接で「決裁者と合わせても大丈夫」とお墨付きを貰い、役員(最終面接)に気に入られるかは、その時になってみなければわからぬのである。
そうして「良い会社」の内定を貰えるのは、良い大学に入った人間の、ほんの一握りの世界である。

勉強が嫌いになるリスク

さて、残念ながら勉強して苦労して良い大学に入り、就職戦線で勝ち抜いて良い会社に入ったとしても、その仕事が合うかどうかすらがまた、やってみないと分からないというものである。まして電通(良い会社と言えるかわからないが)や三菱電機(良い会社と言えるか怪しいが)のような企業に入り、心身ともにすり減らし、再起不能になることもまた、ある。

もっと言えば、どんな企業に入ったとしても、就職しだしたあともまた、勉強が必要だ。
最後に頭が良かったのは22歳で止まる人は、ゆくゆくリストラ対象となる。何せ変化の激しい現代においては、正解のない課題や問題に対処し、専門性を磨き、実績を積み上げるには経験だけでなく、新しい知識の習得が必要不可欠である。

仕事で結果を出すには経験が必要だが、経験だけでは未知のものに対処することは不可能だ。経験と知識、2つ揃ってはじめて「知恵」となる。
ところが苦学の末に就職に失敗すると、青春を犠牲にした反動で勉強が嫌いになってしまう、と言った人が出てくる。これはある意味で、中高生時代に勉強が嫌いだった人間よりも深刻だ。

中高生時代に勉強しなかった者は、必要に迫られるキッカケさえあれば、大人になってから勉強する人間も意外にいるものである。
確かに一流企業で安定高収入を得たいなら、中高生時代に青春を犠牲にしてでも勉学に打ち込んだ方が得しやすくはあるのだが、二流企業(大手子会社や準大手など)は学歴がなくとも、転職市場でチャンスが巡って来ることも、またあるのである。

中高生時代がダメでも、大人になってから研鑽を続けた者には、思わぬチャンスが巡って来ることがある。
勉強が嫌いになってしまうのは、そうしたチャンスをも遠ざけることになってしまうのだ。

勉強は必要性を感じて自発的に行うようになるのが良い

新卒に全てを賭けるなら、中高生時代に青春を犠牲にしてでも勉学に打ち込んだ方が、得をしやすいことは確かである。
しかし、皆が安定志向になればなるほど日経225企業の人気は高まるし、新卒に全てを賭けるリスクも高まるところである。
特に現在は定年が65歳まで伸びているし、恐らく将来的には70歳まで伸びるであろう。職業生活が非常に長丁場である。だからこそ、小中高の9年間に勉強に全てを注ぎすぎてはならない。

大事なことはお大人になってからも研鑽し続ける持久力だ。小中高の9年間で頑張り過ぎて大人になってから勉強が嫌いになると、それはそれでお先真っ暗である。
新卒時に就職した会社に定年まで居続けられる人は、そう多くはない。青春時代に詰め込み過ぎて勉強嫌いの大人になってしまうようであれば、まだ大人になってから勉強をしても遅くはないだろう。
少なくとも、日本には資格試験は多くある。大人になってから勉強を始めても、なんとかなる環境は整っているのだ。

昔のように「最初に入った会社で生涯を終える」なら良いのだが、今は2人に1人が転職をする時代となった。
今後は恐らく日本人の1社あたりの在籍期間はより少なくなっていくだろう。
その時代に大事なのは「大人になっても勉強を続ける持続力」であり、子供の内から勉強を我慢させて燃え尽きさせるようなことは、しない方が良いのではなかろうか。

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進路選択   2023/05/26   センチュリー・大橋

そもそも合わない学校に行った時点で勉強はとてつもなく嫌いになる⓵

ひぐらしのなく頃に卒は、遂に古手梨花は北条沙都子の一騎打ちにまで発展させることが出来た。
まるでクロノトリガーのラヴォスコア戦を思わせる時空移動をしながら、互いに罵り合い、拳をぶつけ合う。何故か時空移動前のダメージはリセットされているが、沙都子から「嘘つき」と言われたことに激昂した梨花が反撃を加えるところで形勢逆転というところになった。

北条沙都子:ルチーア学園それにしても、である。
「高校生にもなって勉強くらい自分でしろ!!」
とは耳の痛いこと言葉であるが、沙都子が「嫌い嫌い」と「嫌い」を8回も連呼するほど勉強嫌いになったのは一体何が原因なのか。そうなってしまったことに梨花に責任は無いのかというのが疑問点として挙がってくる。
確かに「勉強に対するスタンス」という意味では梨花の主張は正しい。恐らく成功体験の多い人は梨花の主張に納得しやすいであろう。一方、挫折経験の多い人は沙都子の心情もわかるのではなかろうか。

本質的に沙都子にルチーアが合わない

思うに、沙都子を勉強嫌いにさせたのは、聖ルチーア学園で置かれた環境的な要因も大きい。
特に沙都子はルチーア学園に入るまで古手梨花の本性はよく知っていなかった。加えて沙都子はルチーア学園の他の女生徒とは全くウマが合わず、対人関係に苦労することになる。
こうしたトラブルというのは実は大人になっても有り得る問題だ。
高校という環境はある意味、少年少女が3年間辞められない職場と考えた方が現実的な学校の姿に近い。実際問題として会社は高校と仕組みが良く似ているのである。特に転職などは友人の紹介で入ると、立場の違いの変化や他の先輩との関係悪化を通じて気まずくなると言った話は珍しいものではない。
「友人の紹介で転職する」と言った人は誰しもが沙都子と似たような状態になり得ると見た方が良いだろう。
「友人に誘われて入った会社(学校)の社風(校風)が合わなくて孤立した」なんて状態になった場合、一人で入った時よりもストレスは大きなものとなる。
少し想像してみて欲しい。
あなたは友人の誘いでとある企業に転職した。転職先にどうにも肌の合わない先輩が多くいる。ある日、友人が先輩も同席するランチに誘ってきた。果たして同席したいと思えるだろうか。
聖ルチーア学園はミッションスクールであると同時にお金持ちが多く通う学校である。言ってしまうと、周りは皆、育ちが良い。古手家も実際には由緒正しき名家であるし、園崎家も裏社会の一員とは言え、やはり表向きは良い家柄に見えるだろう。
対する北条家は貧困家庭である。北条沙都子は言葉こそお嬢様言葉を使えど(本物のお嬢様曰く下品)それはペルソナの沙都子であり、わよね口調で喋る沙都子こそが地の沙都子なのだ。

大人だって合わない会社に入れば仕事は嫌いになる

確かにルチーア学園に入る前から沙都子は勉強が嫌いだったかもしれない。だが、ルチーアに入ったことで「更に勉強が嫌いになった」と見ることはできまいか。
少なくとも補習室に入る段階の沙都子は、うつ状態にあった可能性がある。

そもそもルチーア補習室にいる生徒の顔付きがうつ状態のそれである。
本当は辞めたいが、親に顔向け出来なくなるから辞められない。
恐らくここにいる女生徒は勉強が嫌いになるし、大学に行けるかはかなり怪しい。
現実世界の仕事とて大差はなく、古手梨花のように組織に馴染んだ人間にとって、その組織で行われる仕事や学業がハードなものであったとしても、人間関係が良好なら意外とやれてしまう。日本人は職場における人間関係は重視するが、逆に言うと人間関係が良好なだけでも、ある程度の不満は目を瞑れる面がある。
逆に言うと、仕事や学業そのものはハードでなかったとしても、人間関係が劣悪であると、それだけでパフォーマンスは目も当てられないほど低下するのだ。
そして悲しいかな、今の日本人は職場の人間関係に対する満足度はロシア以下、底辺のレベルに落ち込んでいるのである。

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進路選択   2021/10/02   センチュリー・大橋
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