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2022年11月28日

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「スポーツに政治を持ち込むな」という日本人が犯している間違い⓵

スポーツは政治と無関係なのか

「スポーツに政治を持ち込むな」とは日本人の口にする言葉の1つであり、日本人はスポーツの世界に政治を絡めることはタブー視している節がある。
「スポーツに政治を持ち込むな」
一見すると正しく見える言葉であるが、それこそ中高生の部活レベルならいざ知らず、4年に1度しかないビッグイベントでは些か相応しくないタブーである。
そもそもスポーツが政治と無関係なのかということが大きな問題だ。
確かに趣味として行う草野球やらテニスには、政治的な要素は絡まない。それはあくまでレクリエーション活動に過ぎず、公園でテニスをしようがサッカーをしようが、それ自体は政治とは無関係である。

では中高生の部活はどうだろうか。
例えば日本人の大好きな甲子園。これもやはり政治性と商業性を排除し、一度でも負けたら後がない球児達が全力でプレーすること、そんなアマチュア球児達の晴れ舞台を応援することに醍醐味がある。やはり中高生の部活レベルのスポーツに政治を持ち込むのは野暮である。
中高生の部活に限ったことではないが、やはりアマチュアスポーツには政治性を持ち込むのは些か不適切であり、アマチュアスポーツに至っては間違いなく「スポーツに政治を持ち込まない」は当然と言えよう。

ではプロの世界はどうなのか。
これは必ずしも無関係とは言い難い。代表的なのは巨人の渡辺恒雄の存在であるが、同様にホークスの孫正義も外せない。
個々の選手に政治的影響力は無いが、オーナーが強い政治的影響力を有していることがある。野球に顕著であるが…。

4年に1度の大会には政治が絡む

とはいえ、いくらナベツネや孫正義が政治的影響力を有していると言っても、それをスポーツ界全体に当てはめるのは無理筋と言えよう。
ではJリーグのオーナーで政治的影響力を有した者がいるかと言えば、いないこともないであろうが、やはり野球界と比べればインパクトのあるキャラはいない。
一方、サッカーや野球以外に目を当ててみると、日本財団の祖である笹川良一は競艇を通してスポーツ界(ギャンブルも兼ねているが)で名を上げた人物である。笹川良一没後は笹川陽平が財団を引き継ぎ、今もスポーツ界、政界に大きな影響力を持った財団だ。

それでも普段のプレー活動の中で政治色が表に出ることはそうそうあるまい。そもそも普段のプロスポーツで重要なのは政治性ではなく商業性だ。
企業の商業活動における営利事業としての目的が第一であるから、政治色などそうそう表に出ようはずもない。
阪神タイガースなどは「球団ではなく教団」などと言われることもあるが、それはまた別の話である。

ところが「4年に1度の国際大会」となると話が一気に変わってくる。
普段のアマチュアスポーツに無く、或いはプロスポーツでも表出しない政治色が、オリンピックやW杯になると出てくるわけである。
普段のアマチュアスポーツやプロスポーツとの大きな違いは、主導権を握るのが政界になるからだ。仮にも企業の営利活動である普段のプロスポーツと違い、4年に1度の国際大会を主導するのは政治家になる。もはや「スポーツに政治を持ち込む」と言うより「政治がスポーツを持ち込んでいる」と言った方が正解に近い。

開催国には当然政治的な意図が絡んでいる

4年に1度の国際大会に政治家が動く以上、当然ながら開催国には政治的な意図があって招致している。
そもそもオリンピックなど成立からして「開催中は戦争を中断しましょう」という政治的な目的があるし、W杯にも「スポーツに政治が持ち込まれている」からロシアやベラルーシが参加できないのだ。
「スポーツに政治を持ち込んではならぬ」のなら、ロシアやベラルーシにも参加権を与えねばならない。

そして近代オリンピックの開催はナチスドイツに国威発揚の目的があったように、やはり開催国になりたい国は何かしらの政治意図があるのである。大抵は国威発揚であるが。
こうなると「スポーツに政治を持ち込むな」という言い分は通用しない。そもそも「政治がスポーツを持ち込んできた」のであるから、政治と無縁であることなど有り得ぬのである。

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ジャーナリズム   2022/11/28   センチュリー・大橋
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