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報道に関する情報をお届けします。

暇空茜の都知事選11万票の快挙に見る非リア人間の鬱屈⓶

6億円あっても婚活に失敗

写真:大阪港のフリー写真素材より

ところで暇空茜なる人物は何故ここまで支持を集めるようになったのであろうか。
そのポイントの1つが「6億円あっても婚活に失敗した」ということであろう。
6億円と言うのは資産としては充分余生を働かずに過ごせる金額ではあるが、しかしながら「婚活女子どころか頂き女子すら来なかった」と言うのが結果であったようで、恐らくこれが暇空茜自身の世間に対する復讐心の動機とも言える。
暇空と対立する人間から見れば「頂き女子すら近寄らなかった」として揶揄する部分ではあるのだが、一方で彼を尊崇する人間にとっては「6億円あっても婚活に失敗したのに自分が結婚できるわけがない」ということの正当化材料にして、いわゆる「非リアであること」の連帯感が生まれるのだ。

目の敵にされた石丸伸二

都知事選では暇空陣営から目の敵にされたのは蓮舫と石丸伸二であるが、特に石丸伸二に対する非難が激しかったと言える。
尤も、蓮舫支持者もまた石丸伸二を目の敵にしていたのであるが、取り分け石丸伸二が得意としていた戦い方がTikTokを使ってのPR戦術にあったことと無関係では無かろう。

TikTokはどちらかと言えば陽キャ用のショート動画サービスであり、短い時間の中で感情に訴えかけることができたというのが、氏の強みである。
しかし陽キャ向け動画サービスであることもあってか、恐らくこれが暇空茜の目に留まり、槍玉に挙げられるようになったのではなかろうか。

尤も、この点は蓮舫陣営の支持者からも目の敵にされており、いわゆる「イメージ戦術だけで票を取った」と言われる要因にもなっている。
少なくとも共産党と連携したことで今回の蓮舫支持者には共産党支持者も付いているが、共産党支持者はネット戦術が得意ではなく、立憲民主党としても今回の選挙でネットを上手く活用できなかったようである。

もう一つ、石丸伸二が目の敵にされる要因として、やはり容姿の面は外せない。
石破茂は石丸伸二を「おじさんぽくないイケメンで自民党にとって脅威である」と評している。
奇しくも暇空茜と同じ41歳。
イケメンと評され、リア充そうな石丸伸二に対し、非リア充の人間は思うところがあったのかも知れない。

目的である石丸の票は減らせたのか

少なくとも暇空茜陣営にとって最大の敵は石丸伸二であったと言えるだろう。
41歳同士というのが奇妙ではあるが、方や婚活に失敗し、方や容姿に恵まれながらも選択的に非婚をしている。
恐らく石丸のそうした姿が癇に障るのだとは思われるが、目的である石丸の票は減らせたのか。

答えは否である。
少なくとも暇空茜の支持層と石丸伸二の支持層は殆ど被らないと言って良い。
どちらかと言えば暇空茜の支持層は桜井誠や田母神俊雄の支持層と重なる部分があり、保守分裂を起こしただけに過ぎない。

ではもう1つ、石丸伸二を目の敵にする蓮舫陣営とその支持者はどうか。
「石丸伸二さえいなければ勝てた!!」という思いはあろうが、それもまた過信である。
石丸伸二に入ったであろう何割かは蓮舫に入ったと思われるが、せいぜい小池に入るか、投票率が下がるのみであり、小池百合子の当選は揺らがなかったであろう。

選挙後、石丸伸二の少子化対策に「一夫多妻」発言があったが、一夫多妻が実現すると結婚できない男性は増加することから、やはり暇空茜の支持者には容認できないことではなかろうか。
石丸伸二と暇空茜、41歳同士の戦いは別の構図として「リア充vs非リア充」の構図も兼ねており、結局のところリア充の勝利に終わることとなった。

筆者から見れば暇空茜の11万票は予想より5倍多かったことから、自分の予想の甘さを反省させられるが、しかしして、石丸伸二に勝てなかったという点において最も納得しなかったのは、暇空茜本人かもしれない。

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ジャーナリズム   2024/07/16   センチュリー・大橋

暇空茜の都知事選11万票の快挙に見る非リア人間の鬱屈⓵

ネットだけで11万票の快挙

写真:大阪港のフリー写真素材より

最初に言っておくと、暇空茜の得られる票数は私が想定していたより5倍多く、甘く見ていたと反省している。
終始顔は出さず、政見放送に姿を現さず、街頭演説すらしない。
こんなことで11万票も集まるとは到底思えず、彼の得票数は概ね彼のフォロワー数×日本における東京の人口比率0.1×東京都内の23区の人口比+αの0.7で見積もっていたのだ。
31000×0.1×0.7で概ね21,700票と見ていたのだが、結果的には11万票の得票であり、本人の自覚とは裏腹に「大成功」と言って良い数字である。

政見放送のYoutubeコメントには多くの批判が寄せられている。

❖暇空氏が何をしようが自由だが、政治家になるのであれば立ち絵を変更し、音声を変え紲星あかりと琴葉茜のイメージを穢さないでほしい
❖NHK党が大量に立ててる候補者の方がなんぼかマシなレベル
❖匿名希望に1400万人の生活任せられんでしょ
❖お金と時間と票の無駄遣い。そもそも当選する気なんかないでしょうよ。顔出す出さないはともかく、Xで一部の人間からチヤホヤされて、すっかりその気になって、同い年でスーパーエリートイケメンの石丸さんに噛みつきたかっただけでしょ。って、思われても仕方ないよね。

多くの批判が寄せられているが、それでも11万票の快挙を成し遂げているのである。

暇空茜と支持者の主従関係

ところで暇空茜に投票した者は決まってX(旧Twitter)上に〖ひまそらあかね〗と書いた投票用紙をアップしていた。
中には市役所職員に注意を受けた者もいるようであるが、これは一種の暇空茜に対する忠誠心のようなものの表れであるとも言える。

というのも、暇空茜という人間は割とX上でブロックを行うことが多くあり、私自身も直接絡んだことは無いがブロックされている。
尤も、直接関わる気は毛頭ないのであるが、暇空茜のXにおける手法は百田尚樹のそれとよく似ており、自分に反発する人間は政治思想が近しくともブロックをする

つまるところ、暇空茜という人物にブロックをされたくなくば、彼への忠誠を態度で示さなければならない。
この手法を百田から学んだのかどうかはわかりかねるが、百田手法と非常に近しいやり方を実施しているため、尊敬する暇空茜にブロックされないためには信心を示さなければならない仕組みなのである。

百田尚樹と支持者には主従関係があるが、暇空茜とその支持者もまた主従関係があり、最早支持者というより「信者」と言った方が正しいかも知れない。

暇空茜と支持者の共通の敵:マスコミとリア充

暇空茜11万得票の秘訣というのは、恐らく彼を支持したクリエイターの影響力が大きいと見ている。
それ相当に著名な漫画家が暇空茜支持を表明していたことから、暇空本人の拡散力以上に、クリエイターの拡散力の方が大きいと言って良い。
加えて、桜井誠の票が10万票を割ったことから見ても、桜井支持層の何割かが暇空茜へ鞍替えしたことが見て取れる。

桜井誠と暇空茜、この2つの支持層には大きな共通点が1つあり、マスコミ敵視とリア充嫌いがほぼ一致している。
ところで桜井誠にはこれと言ってネームバリューのある人間のお墨付きが無いことに対し、暇空茜は杉田水脈など、一部のネームバリューのある人間からのお墨付きがあるところに違いがあろう。
こうしたお墨付きを得た暇空茜の方に勝算があると踏んだ桜井誠支持層の半数以上が、暇空茜へ乗り換えたのではないかと思われる。

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ジャーナリズム   2024/06/23   センチュリー・大橋

品質管理の三現主義はジャーナリズムに於いても必要なものである⓶

すべては現場で回っている

写真:七尾市のフリー写真素材より

品質管理の三現主義はジャーナリズムにおいても重要な要素である。
どん兵衛不買運動の実際はどうだったかは、各コンビニへの聞き込み調査を行うことで、本当に日清食品や小売店に打撃があったのかは調査できる。

少なくともジャーナリストを名乗るものが取材すら行わずにShareNewsJapanの記事を拡散するなど論外で、本当にどん兵衛不買が効果出ているかを確認するには小売店に出向くべきである。
どん兵衛不買運動が効いているか否かは小売店に出向き、インタビューをすれば推し量ることができるだろう。

偏向報道だとは言うが…

ネットには「偏向報道が嫌いだ」という者が多くいるが、そういう者ほど「自らの偏向ぶり」は正そうとしないものである。
メディアが偏向しているのは当たり前の話であって、何なら加藤清隆が拡散したShareNewsJapanも「大きく偏向」している。

そもそも政治系まとめサイトの多くは1次情報源がマスコミ、ツイートに過ぎない。
自ら取材しに行くようなら到底1日5記事、10記事は書けないだろう。
何よりマスメディアもネットメディアもアクセスを稼ぐには「想定読者層(想定購買客)」を設定し、その読者に応えられるように記事を書いている。
当然、ニュートラルな視点に立ったメディアなど存在しないのであって、人間と言うのは偏向しているのが常である。

当然、まとめサイトも想定読者層を設定している。
取り分け、政治系まとめサイトは悪口が多いのであるから、コンプレックスを持った人間が想定読者層と考えられる。
人のコンプレックスを刺激して他人の悪口を言えることがコンプレックスを抱えた人間の快楽となり、快楽を満たす欲求が「偏向した記事」を拡散する。
要は、どん兵衛不買騒動なども「本当に日清食品がダメージを受けているかはどうでも良い」のであり、単に「どん兵衛不買運動が効いていると思えれば良かった」のである。
そこに三現主義の視点など全くない。

基本的にネットメディアはマスコミより信憑性が薄い

マスコミの信頼性が問われる時代になったが、とは言え政治ジャンルにおけるネットメディアの信用性など、たかが知れたものである。
曲がりなりにもマスコミと言うのは現場で取材をし、現物に触れたものを情報として提供しているものが多い(もちろん全てではない)

一方、ネットメディアは現場に行っていること自体が少ないし、当然現物に触れていることも多くない。
そこから現実的に考えているかと言えば、だいぶ憶測や推測、願望があり、願望を記事にしているだけということも多いものだ。

ネットで決まり文句のように効かれることの一つが「マスコミが報じない真実」であるが、マスコミが報じない真実がネットに出回るかと言えば、それはないだろう。
それが出回るのは誰かが現場に行き、現実に触れた時である。
結局のところ、マスコミが報じない真実と言うのはネットではなく、現場にあるのである。
だからこそジャーナリズムには三現主義の視点が必要なのだ。

品質管理の基本知識として度々目にする三現主義であるが、ジャーナリズムとは正に三現主義の視点で論じるべきなのである。

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ジャーナリズム   2023/12/27   センチュリー・大橋

品質管理の三現主義はジャーナリズムに於いても必要なものである⓵

品質管理の三現主義

品質管理の勉強をしていると確実に習うことの一つが三現主義である。
これは現場・現物・現実の略であるが、これに原理・原則を加えて5ゲン主義と呼ぶこともある。
品質管理では「物事は現場で動く」と言う発想が大前提にあり、現物に触れて現実的に考えるということが大原則だ。

それは情報セキュリティ3要素(気密性、完全性、可溶性)があるように、品質管理においても3原則があるということである。
そして、この品質管理三現主義はジャーナリズムにおいても通ずる原則であり、やはりジャーナリズムも現場・現物・現実は最低限抑えるべきことである。

取材を怠るジャーナリスト

インターネットの世界でPVをよく稼ぐサイトには、まとめサイトの存在がある。
まとめサイトは便利ではあるが、こと政治というジャンルに至っては過信は禁物だ。

政治系まとめサイトには「誘導したい方向性」というものがあり、必ずしも事実を映し出すものではないことに注意が必要だ。
先日、アンミカが杉田水脈を批判したことで、Twitterでは右翼側より「不買運動だ」と騒ぎが起こり、アンミカを密入国者とするデマが出回った。

この時、ShareNewsJapanというまとめサイトが「最強どん兵衛がカゴ売り」と騒ぎ立てたのだが、このツイートを拾った加藤清隆は「どん兵衛不買運動が効いている」としてツイートを拡散。
この事実確認のため、京都市内のファミリーマートとローソン計5店舗へ聞き込みを行ったが、そもそも不買運動がコンビニ店員に認知されておらず、どん兵衛の売れ行きが激減しているなどと言う事実も無かった。

加藤清隆は早稲田大学を卒業し、時事通信社で記者を経験した後、政治評論家を名乗るジャーナリストである。
曲がりなりにもジャーナリストを名乗るのであれば、取材をすることは必要だ。
だが、加藤は取材を怠ったのである。

そもそも店舗の名前すらわからず

ShareNewsJapanはTwitterから、どん兵衛がカゴ売りされているツイートを拾って自サイトで貼っただけである。
当のツイートは店舗の詳細が全くわからないものであった。
つまり、どのような意図で店舗がどん兵衛を3個で200円引きしていたのかはわからないのである。

参考までに当該ツイートが為されていた日は、ファミリーマートとローソンでは、どん兵衛2個購入で100円引きセールをやっていた。
該当のどん兵衛がカゴ売りされていたのはコンビニエンスストアと思われるが、仮にファミリーマートかローソンと仮定した場合、本部の指示とは別に「何かしらの思惑」があって3個で200円引きをしていたと思われる。

年末商戦期のために他店に対抗していた可能性もあるし、本当に売れ残っていたのかもしれない。
それはジャーナリストであるなら、正に取材によって検証すべきだったのだ。

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ジャーナリズム   2023/12/26   センチュリー・大橋

芸能人の不倫報道の期間が長すぎる…所詮は当事者間の問題でしかない⓶

写真:白山市のフリー写真素材より

不倫報道を求める消費者がいる

芸能人の不倫報道は報道機関が長すぎる。
ベッキーにしろ広末涼子にしろ、芸能人の不倫報道と言うのはなかなかに長い。
不倫報道とはズレるが、渡部健の不貞行為に関する報道もまた長かった。
これらの報道期間に対して「国会から目を逸らす報道だ」と言う声もあるが、残念ながらマスメディア各社に国会からの目逸らしの意図はない。
「売れるから報道しているだけ」なのだ。
要はそれを求める消費者がいるだけなのである。

不倫報道という名のエンタメ

では何故不倫報道を求める視聴者がいるのか。
これは不倫報道がエンターテイメントとして機能しているからと考えた方が良いだろう。
普段、政治に対しては不満を(あっても)言わないような人が、不倫報道になると過激になったりする。
だいたいこうした不倫報道が出た芸能人は活動休止や引退に追い込まれるが、ではそうした芸能人が活動休止や引退に追い込まれて社会が良くなるのかというと、そんなことは全くない。

言ってしまえば「悪は裁かれた」という私的制裁欲を満たすためのものにしかならず、公益性など全くないのである。
それでも政治の世界と比べると不倫バッシングと言うのは、まことしやかに参加者が多い。
政治の世界と違い、時の内閣に比べて芸能人の不倫報道は不倫をした芸能人が圧倒的な弱者となり、叩きやすいというのもあるのかも知れない。

小難しい政治の世界と比べて不倫は「やった奴が絶対悪い」という単純さもまたわかりやすい。
そうして芸能人の不倫報道は「エンターテイメント」として消費されてゆくのである。

正義を行使するより自身にも危機感を持つ方が良い

芸能人の不倫報道に公益性は無く、それで引退や活動休止する芸能人が出たところで社会は微塵も良くならないが、芸能人の不倫報道などというのは正義に酔うより「自分が不倫の当事者にならないように」と当事者意識を持って眺めるくらいがちょうど良いのではなかろうか。

一件、異性と縁の無さそうな面構えの者が意外と異性トラブルを起こしていると言ったことがある。
「自分は大丈夫」と思っていても、それが「意外なところから恋愛関係に発展してしまう」ということがあるものだ。
せいぜい芸能人の不倫報道は、そういう視点で見れるかどうかが価値のある要素と言えるだろう。

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ジャーナリズム   2023/08/02   センチュリー・大橋

芸能人の不倫報道の期間が長すぎる…所詮は当事者間の問題でしかない⓵

不倫報道に報道の価値無し

紫陽花は人間には毒があるというが、紫陽花の如く危険な恋に走ってしまう人もいるものである。
かつて大ブレイクした芸能人の不倫話は報道として長引く様相があり、広末涼子が今回のターゲットになったようである。

芸能界は一般的な職業と比較すると異性の自然な出会いも多く、或いは今回は両名とも配偶者持ちだったようで、配偶者持ちにしかわからない悩みなどの共有から、思わぬ恋に発展してしまうこともあるようだ。

かつて売れていた芸能人の不倫報道。
それは一瞬で終わる分には「まぁ報道しても良いだろう」と思われるが、しかし日本の場合、芸能人の不倫の報道機関が長すぎる
ベッキー不倫騒動にしてもそうであったが、そんなものは1週間も2週間も、まして1ヶ月も報道する価値のあるものではない。
たった1回、3分報道すれば十分な内容である。

掘り下げる価値無し

ある物事について長い期間報道する時、それは「掘り下げる価値があるか否か」と言うことが大事な視点になる。
例えば凶弾に倒れた安倍晋三であるが、安倍晋三と山上徹也の事件は掘り下げることにより、政教分離が出来ていない日本の問題が明らかとなった。
靖国問題にしても外交問題としての側面もさることながら、やはり政教分離の原則に反するという側面も大きい。

三菱の品質不正についてはどうか。
やはりほ掘り下げることにより、日本の企業の危機管理や品質管理の甘さが露呈しているということがわかる。
これは三菱だけの問題ではなく、日本の企業全体に起きている危険性があるものであり、掘り下げる価値は十分にある。

では芸能人の不倫報道はどうだろうか。
これはどこまで行っても当人同士の問題でしかない。どれだけ掘り下げても行き着く先は当人同士の問題でしかないのである。

不倫報道を長くやっていられるほど日本は平和なのか

不倫報道に限ったことではないが、日本のニュースは全般的に芸能の占める割合が大きいと言われている。
世界のYahoo!で芸能ニュースがトップニュースのカテゴリーに並ぶ割合を見たところ、アメリカは3%、英国は12%、日本は35%が芸能ニュースで占められていたという。
尤も、日本のYahoo!だけは世界のYahoo!とは運営元が異なるため、単純比較はできないが、しかし日本の報道は芸能関係が多いことは概ね間違いではない。
ベッキー不倫騒動など、凡そ10か月間も報道されていた。ベッキーの不倫など誰が知ったところで何の得もしないのに、である。

こうした不倫騒動が報道される背景として「それだけ日本が平和だから」という言葉も聞かれる。
しかし、今の日本はそれだけ平和と言えるのか。
確かに治安(犯罪の件数)という点だけを見れば平和に思えるが、しかし経済や政治の観点では、課題が山積みである。平和どころか危機が眼前に迫っているのが実情であり、とても他人の不倫など気にしている場合ではない。

少子高齢化然り、身寄りのない人間の増加然りで、危機は進行中である。

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ジャーナリズム   2023/06/19   センチュリー・大橋

未成年にSNSは早かった:世の中高年が思う以上に中高生は子供である⓶

現在は対処療法しか行われていない

写真:白山市のフリー写真素材より

恐らく多くの保護者がニュースなどで目にするバイトテロと言うものに対し、他人事だと考えているであろう。
しかし、子供(特に男児)を持つ親は「自分の子供も同じことをしてしまうかも知れない」という危機感は持たねばならない。
特に近頃は問題行為からマスコミのニュースになるまでのスピードが極めて速い。

多くは身内向けに配信した動画が何等かの経路で外部に漏れ、Twitterなどで拡散されているわけだが、結局のところ「起きたトラブルに対処する」ということしか出来ていないのが実情であろう。

もう一つ厄介なのが、スシローの件はバイトテロではないということか。
バイトテロであればスマートフォンの持ち込みを禁止し、アルバイトだけで業務を運用することはさせないようにすることで、ある程度は防止できる。
しかし、今回は非常識な客の異常行動になるため、店側としてはなかなか対処のしようはない。
言うなれば、発生した火事の火消しはできるが、火事を未然に防ぐことが難しい案件とも言える。

中高生を指導できない中高年

尤も、中高生によるSNSを使った不適切投稿については、中高年側が中高生を適切に指導出来ない問題もある。
SNSに慣れ親しんでいない、またはTwitterなどを基本的に「見る専」で使っている場合、ネットのトラブルに巻き込まれるという経験は持っていないだろう。
特にTwitterには陰湿な者が多く集まっているが、ネットで危ない人と関わることなく、大きなトラブルもなく生活してきた人にとって「こういう使い方をするとトラブルになる」と教えるのは難しいのかも知れない。

一度でもネットを通して大きなトラブルを経験したことのある人間にとっては、危険なネットの使い方を経験知として持っている。一方で、SNSに親しんでいなかったり、或いは見る専でやってきた人には、ブロンコビリー・バイトテロ事件なども伝聞知として持ってはいても、それを自分事として落とし込むのは難しいのである。

もっと言えば、今の中高生を中高年が適切に指導出来ていないということも、事件に至る要因としてなくはないのだ。
と言うのも、今の中高年が中高生だった時代、パケット定額と言うものは無かった。今のソフトバンクはJ-Phoneと言う名前であり、その時代のケータイ電話はネットに繋げば繋ぐだけ料金が請求される時代だ。

松本人志がCMをやっていたTukaなど「通話出来ればええやん」のサービスであったし、ファイナルファンタジー7にも登場した通信機器・PHSの事業を「ウィルコム」という会社が行っていた。今やTukaやウィルコムなど知っている若者はいないだろう。当然、Twitterなどというものも存在していなかった。
パソコン通信は以前からあったが、その時代のPCなど今のラップトップなどと違い、贅沢品の領域である。

未成年にスマートフォンを持たせるには早かった

「ウチの子がSNSで変な投稿をしないようにするためにはどうしたら良いでしょうか」

もしこうきからたら、出すべき答えはただ1つだ。

「お子さんにスマートフォンを持たせないことです」

最も単純で明快な方法はそれである。
アップルの創始者、スティーブ・ジョブズは自分の子供にiPadもiPhoneも触らせなかったことは知られている。
それはジョブズ自身がテクノロジーの恐ろしさを良く知っていたからである。
テクノロジーの恐ろしさを知っていたジョブズだからこそ、自分の子供にはスマートフォンもタブレットも持たせなかったということだ。

SNSの恐ろしさは承認欲求を肥大化させることにある。これは40歳を過ぎた大人でもSNSを使うことによる承認欲求の肥大化をコントロールするのが難しいのであるから、10代の多感な時期など猶更である。
残念ながらく、自分の倅のSNSを使った乱暴の未然防止には、スマートフォンを持たせないことが一番安全なのだ。
現代社会において、それが現実的でないと言われればそれまでであるが、しかしITの世界で成功しているスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが、子供に簡単にスマートフォンを触らせなかったことが、実はスマートフォンの恐ろしさをよく示している。

もし中高生にスマートフォンを持たせるなら、適切な使い方を中高生が示せねばならないが、残念ながら時代はまだそこまでには至っていないのである。

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ジャーナリズム   2023/02/05   センチュリー・大橋
タグ:電話

未成年にSNSは早かった:世の中高年が思う以上に中高生は子供である⓵

SNSを使った飲食テロ松任海岸と車

写真:白山市のフリー写真素材より

人間の承認欲求とは恐ろしいものである。スシローで醤油さしや湯呑を舐め、元の位置に戻すなどをしていた様子をSNSに上げたことで、大騒動が起こるという事態となっていた。
ネットでは当の17歳の少年に対して「スシローのブランド力を損ねた」として大バッシングが起きているが、言ってしまうと従事者によるバイトテロとはやや異なり、いわゆる「迷惑客」の行為によるものであるから、スシローのブランドイメージはそこまで傷付くことはないだろう。
ブランドイメージという点においては、寧ろ店長が焼身自害をした、くら寿司こそブランドイメージを損ねそうなところであるが、それは世間からは全く相手にされなかった。

店長が憤慨の末、焼身を図っても、くら寿司は何食わぬ顔で「炙りチーズ」を勧め、当たり前のように客は回転寿司を楽しんでいた。
くら寿司がそんな調子なので、ましてバイトテロでもなく、一介の迷惑客の狂った行動など、スシローのブランドイメージという点に対しては、大してダメージを与えていないであろう。

中高生は中高年が思う以上に子供である

ネットでは17歳の少年に対する厳罰を求めるような声が大きいが、ある意味でネット民など所詮その程度とも言える。
もちろん少年の起こしたことは立派な営業妨害であるし、未成年であることを加味しても、何かしらのお裁きはあるかも知れないが、それは当事者のみぞ知るところである。

世間からは少年に対して大バッシングが寄せられるであろうが、しかし世の大人達は意識しておかねばならないことがある。
それは世の中高年が思う以上に、中高生は子供であるということだ。
まして日本の中高生は、欧州や米国のそれと比べても、ずっと子供かも知れない。
大抵の高校では生徒のアルバイトは禁止であるし、校則も「高校生らしく勉学と部活に打ち込んでいろ」と言う学校が多い。言ってしまえば過保護なのである。
その一方で、問題を起こした生徒は自主退職を薦めていく陰湿さも兼ね備えているものだが、そうした教育環境もあって、日本の中高生は中高年が思う以上には子供であるということだ。

尤も、ネット民は20代の頃にmixiやモバゲー、GREEの日記で黒歴史を作った経験がある者も少なくないのではないか。

子供がいる人間は決して他人事と思ってはいけない

スシロー動画の少年に怒れるネット民の中には勿論、既婚で子持ちな中高年もいよう。
しかし、それをたにん他人事と思ってはいけないいけないのである。少年の父親にとっても、自分の子供がまさか回転寿司で酔狂な真似をするとは考えなかったであろう。

思うにブロンコビリーの学生アルバイターによる不適切投稿から既に10年近くが経過している。
これは一言で言えば「10年間進歩していない」ということでもある。
この10年でネットに不適切投稿が投稿されたのは何もブロンコビリーだけではない。
すき家しかり、セブンイレブンしかり、くら寿司しかり、泰尚しかりで問題行動は繰り返されている(そして男児という共通点がある)。
高校生どころか大学生もいるのであるから、如何に世の大人が思う以上に10代の男児がお子様かと言うものだ。スシローの件はバイトテロとは異なるが、しかしこれだけ事件が繰り返され、損害倍書が起きようとも、みな「他人事」なのである。だからいつになってもブロンコビリーの教訓は活きないのだ。

イーロン・マスクは昭和の日本人だったのか

少子化の問題は金から始まったものではない

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ジャーナリズム   2023/02/04   センチュリー・大橋

「スポーツに政治を持ち込むな」という日本人が犯している間違い⓶

大きな金が動くスポーツイベント

4年に1度しかない国際大会では、招致に向けて政治家が大いに関わっていることは先に述べた通りである。
東京地検特捜部による捜索が続いている五輪汚職だが、東京オリンピックだけを見ても、安倍晋三、小池百合子、森喜朗と言った政治家が招致・運営に関わっている。それは招致することに対する政治的なメリットがあるから政治家が動くのであり、政治的な意図が無ければ動くことは無いだろう。

「スポーツに政治を持ち込むな」と言うなら、政治家は一切スポーツ大会の招致や運営に関わらないようにした上で言ってもらいたい。
だが、現実には政治家を関わらせずに五輪やW杯を招致出来るかと言えば、そんなことも無いだろう。
加えて一度招致すれば莫大な金が動くことになる。
東京五輪の新国立競技場にしろカタールW杯のスタジアムにしろ、ビッグイベントの招致後には巨大な公共事業が絡んでくる。正に政競一致と言ったところである。

開催国に問われる品格

ナチスドイツの五輪招致以降、ビッグイベント開催国は自国の「物質的な豊かさ」を示す手段として、スポーツ大会を招致してきたのではなかろうか。
ところがオリンピックは本来「このスポーツ大会をやる間だけは休戦しましょう」という政治的なイベントなのである。そしてW杯はオリンピックを意識して造られたものだ。
W杯の起源はパリオリンピック(1924年)とアムステルダムオリンピック(1928年)にある。
この2大会でサッカーは大成功を収めたことから、1930年にウルグアイで初のW杯が開催された。4年に1度開催する理由もオリンピックを意識したものだからだ。

ビッグイベントは招致する側としては物質的な豊かさを示すため、或いは国内の公共事業を通して経済活動を促進するためと言った目的があろう。
一方で、他の国(特にヨーロッパ)から見たスポーツイベント開催国というのは、単に物質的な豊かさを持っているだけでなく、人権を守る国なのかどうかということが、よく問われる時代になってきたように見える。

カタールのW杯に対し、ヨーロッパnnのにんは下記の2つの点を問題視している。

⓵W杯招致してから10年で6500人の外国人労働者が亡くなっている
⓶カタールは法律で同性愛が禁止されている

日本人にとってはどうでも良い内容かもしれないが、ヨーロッパ人にとってはこれがどうでもよい話ではない。
北京ではと冬季オリンピックが予定されているが、やはりウイグル問題などで糾弾されることであろう。今やスポーツのビッグイベントは開催国としての品格が求められる時代となってきたと言える。

五輪やW杯は今や政治の一部である

オリンピックやW杯は今や政治の一部である。いや、寧ろオリンピックは成立そのものが政治そのものであり、政治と切り離すことが出来ないものだ。
それ故に「スポーツに政治を持ち込むな」というのは、少なくともオリンピックやW杯では筋違いというものである。

とは言え、やはりカタール開催のW杯に於いて、カタール開催の持つ政治性を無視出来た日韓と、そうではない西欧とでは、やはり試合そのものに対する影響はありそうではある。
西欧はカタール開催にあたり「開催国として人権を尊重する国なのか」ということを重視している。反面、日本や韓国は労働者の人権を尊重すると言った習慣がない。それ故にカタール開催に当たっても政治問題になり辛く、寧ろそうしたカタールの政治的な問題は報道されてこなかった節がある。
FIFAはアジア勢が西欧勢に勝って大番狂わせをする展開を予見していたようであるが、こうした「政治的背景」を考慮すると、アジアが西欧勢に勝っているのは何も大番狂わせとまでは言えない。
当然の展開とは言わずとも予想は出来たものであり、労働者の人権を守る習慣の無い国が結果的にW杯で優位なポジションを取っていくというのは、なんとも皮肉な展開としか言いようはない。

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ジャーナリズム   2022/11/30   センチュリー・大橋

「スポーツに政治を持ち込むな」という日本人が犯している間違い⓵

スポーツは政治と無関係なのか

「スポーツに政治を持ち込むな」とは日本人の口にする言葉の1つであり、日本人はスポーツの世界に政治を絡めることはタブー視している節がある。
「スポーツに政治を持ち込むな」
一見すると正しく見える言葉であるが、それこそ中高生の部活レベルならいざ知らず、4年に1度しかないビッグイベントでは些か相応しくないタブーである。
そもそもスポーツが政治と無関係なのかということが大きな問題だ。
確かに趣味として行う草野球やらテニスには、政治的な要素は絡まない。それはあくまでレクリエーション活動に過ぎず、公園でテニスをしようがサッカーをしようが、それ自体は政治とは無関係である。

では中高生の部活はどうだろうか。
例えば日本人の大好きな甲子園。これもやはり政治性と商業性を排除し、一度でも負けたら後がない球児達が全力でプレーすること、そんなアマチュア球児達の晴れ舞台を応援することに醍醐味がある。やはり中高生の部活レベルのスポーツに政治を持ち込むのは野暮である。
中高生の部活に限ったことではないが、やはりアマチュアスポーツには政治性を持ち込むのは些か不適切であり、アマチュアスポーツに至っては間違いなく「スポーツに政治を持ち込まない」は当然と言えよう。

ではプロの世界はどうなのか。
これは必ずしも無関係とは言い難い。代表的なのは巨人の渡辺恒雄の存在であるが、同様にホークスの孫正義も外せない。
個々の選手に政治的影響力は無いが、オーナーが強い政治的影響力を有していることがある。野球に顕著であるが…。

4年に1度の大会には政治が絡む

とはいえ、いくらナベツネや孫正義が政治的影響力を有していると言っても、それをスポーツ界全体に当てはめるのは無理筋と言えよう。
ではJリーグのオーナーで政治的影響力を有した者がいるかと言えば、いないこともないであろうが、やはり野球界と比べればインパクトのあるキャラはいない。
一方、サッカーや野球以外に目を当ててみると、日本財団の祖である笹川良一は競艇を通してスポーツ界(ギャンブルも兼ねているが)で名を上げた人物である。笹川良一没後は笹川陽平が財団を引き継ぎ、今もスポーツ界、政界に大きな影響力を持った財団だ。

それでも普段のプレー活動の中で政治色が表に出ることはそうそうあるまい。そもそも普段のプロスポーツで重要なのは政治性ではなく商業性だ。
企業の商業活動における営利事業としての目的が第一であるから、政治色などそうそう表に出ようはずもない。
阪神タイガースなどは「球団ではなく教団」などと言われることもあるが、それはまた別の話である。

ところが「4年に1度の国際大会」となると話が一気に変わってくる。
普段のアマチュアスポーツに無く、或いはプロスポーツでも表出しない政治色が、オリンピックやW杯になると出てくるわけである。
普段のアマチュアスポーツやプロスポーツとの大きな違いは、主導権を握るのが政界になるからだ。仮にも企業の営利活動である普段のプロスポーツと違い、4年に1度の国際大会を主導するのは政治家になる。もはや「スポーツに政治を持ち込む」と言うより「政治がスポーツを持ち込んでいる」と言った方が正解に近い。

開催国には当然政治的な意図が絡んでいる

4年に1度の国際大会に政治家が動く以上、当然ながら開催国には政治的な意図があって招致している。
そもそもオリンピックなど成立からして「開催中は戦争を中断しましょう」という政治的な目的があるし、W杯にも「スポーツに政治が持ち込まれている」からロシアやベラルーシが参加できないのだ。
「スポーツに政治を持ち込んではならぬ」のなら、ロシアやベラルーシにも参加権を与えねばならない。

そして近代オリンピックの開催はナチスドイツに国威発揚の目的があったように、やはり開催国になりたい国は何かしらの政治意図があるのである。大抵は国威発揚であるが。
こうなると「スポーツに政治を持ち込むな」という言い分は通用しない。そもそも「政治がスポーツを持ち込んできた」のであるから、政治と無縁であることなど有り得ぬのである。

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ジャーナリズム   2022/11/28   センチュリー・大橋
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