若者に告ぐ!「うっせぇわ!」嘆く暇があるなら一流の集まる街へ行け
「うっせぇうっせぇうっせぇわ!」
ラーメンを食している最中に流れてきた「うっせぇわ!」は、なんでも若者の支持を集めた曲として話題になったことがある
筆者はあまりボーカル付きの楽曲を聴くことは無いため、飲食店やスーパーに立ち寄った時でも無ければ聞くことのないものであったが、聴いていてつい気になる点があった。
退店後に歌詞を見て見ると、この曲に共感できたという若者には次のような特徴が垣間見れる。
❶小さい頃から人前では良い子ちゃんであったこと
❷社会のルール(暗黙の了解)には従順であること
❸一方で自分は出来の良い優秀な人間と思っていること
❹その上で社会への不平不満が大きい事
こんな感じであろうか。
とりわけ、どうしても気になったフレーズが「頭の出来が違うので問題はナシ。つっても私模範人間」というものだ。
「うっせぇわ!」に共感する人は、恐らく上司に不満を抱えているであろう。その上で、自分は仕事の出来る人間であると思っている。しかし、ならなぜ「三流上司」とやらの元に甘んじているのか。ここがどうにも腑に落ちない。
確かに日本企業はだらしないが
恐らくこの歌に共感した人は多くが日本企業に勤める若者で、上司や経営者は保守的で会社の文化は古臭いのだろう。
日本企業の経営者や上司の多くが無能なのは確かであり、だからこそIT革命から20年経ってもデジタルの普及は大きく遅れた。
20年前に掲げられた「e-Japan戦略」では「このままやと日本はIT後進国になるで!」と予言していたのだが、正に今、その予言通りとなってしまっている。
未だ20年前の価値観にすら追い付いていない中高年の多い日本企業で、マイノリティである若者はさぞ苦労していることだろう。
安倍政権ではアベノミクスなどと称して雇用の改善が謳われていたが、何のことは無い、高齢化で引退していくオールド世代の後にヤング世代が入れ替わっただけのことだ。アベノミクスなど関係なく、コロナが終われば再び人手不足時代に到来する。
何せ大企業の子会社でも、若者の繋ぎ止められない現状に冷や汗をかいているものだ。今の中高年はまだ昭和から脱却できておらず、そうした意味で能力のない人間が役職に就いてしまっていることは確かだ。
しかし、そうした不満を抱えつつも、不満を伝えないこともまた罪ではないか。
まして「頭の出来が違う」というなら、なぜ現状の不満な環境に甘んじているのか。
「私は頭の出来が違う!」というなら一流の集う環境へ行け
しかし、ただ転職しても面白くはなかろう。一流の集う場所へ飛び立つべきである。
わかっての通り日本企業のサラリーマンは一流にはなれない。だが、それがわかっていて何故不平不満を抱えたまま現状に甘んじるのか。
頭の出来が違う優秀な人間は、一流の集う環境へ飛ぶべきだ。具体的にはシリコンバレーや深圳のようなイノベーションセンター、世界の金融の中心地たるウォール街など、一流の集う環境で、一流と同じ目線で仕事をするべきではないか。
アメリカの大リーグが凄い存在である理由は、世界中から一流の選手が集まるからだ。
イタリアのセリエAは世界中から一流のサッカー選手が集まるのだから、優秀な選手は日本から飛んでいく。
もし本当に「私は頭の出来が違う」と思っているのであれば一流の集う環境に転職した方が人生は充実すると思われるのだが、して如何か?